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柏牧師:過去の礼拝説教

「憐みの池のほとりで」

2015年03月22日 聖書:ヨハネによる福音書 5:1~18

先ほど読んで頂いた御言葉の中に、「ベトザタ」と呼ばれる池が出てきました。

この「ベトザタ」という池の名前は、以前の口語訳聖書では、「ベテスダ」となっていました。

私は、昔から慣れ親しんでいた、この「ベテスダ」という呼び名に、愛着を感じてしまいます。

また、「ベテスダ」という名前の、教会や施設も数多くあって、一般には、「ベテスダ」の方が、広く知られているのではないかと思います。

最も古い写本が「ベトザタ」と記しているので、新共同訳聖書はこの名前を採用しています。

しかし、初期の写本の中にも、「ベテスダ」と書かれているものも多くあります。

ですから、「ベテスダ」という呼び名が、完全に退けられている訳ではありません。

「ベトザタ」という呼び名は、「オリーブの家」という意味だそうです。

一方、「ベテスダ」という名前は、「憐みの家」という意味だと言われています。

今朝は、この池の名前を「ベテスダ、憐れみの家の池」、と呼ぶことを許していただき、話しを進めさせていただきたいと思います。

この池は、エルサレム神殿の直ぐ近くにあって、もともとは、巡礼者の沐浴のために、作られたものです。

しかし、やがて、この池に入ると、「神様の憐れみによって、病気が癒される」、と信じられるようになりました。そこで、多くの病人が、この池の周りに、集まってきたのです。

そこから、「ベテスダ、憐れみの家」の池、と呼ばれるようになっていったのです。

しかし、実際には、この池は、その名に反する場所でした。

今朝の箇所を注意して読みますと、3節の後に✝の記号があり、そのあと直ぐに5節に飛んでいます。4節が、省かれています。

何故かと言いますと、3節後半から4節は、古い写本の中に見当たらないからです。

恐らく、この部分は、後の時代に、加えられた言葉だろう、と看做されているのです。

そのような言葉は、巻末にまとめて、参考として記されています。

そこで皆さん、ヨハネによる福音書の最後、P.246もしくはP.212、を見てください。

この福音書の最後、21章25節に続いて、このような文章が書かれています。

「彼らは、水が動くのを待っていた。それは、主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。」

この箇所を読まないと、7節の「主よ、水が動くとき」という言葉の意味が分かりません。

後の時代に、3節後半から4節の言葉が付け加えられたのは、この7節の言葉を、説明するためだろう、と考えられています。

ここに説明されているように、この池の水は、何らかの理由で動いたのです。

当時の人びとは、天使が水面に触れるか、或いは、天使が水浴びをするので、池の水が動くのだ、と信じていました。

ですから、その時、その水に一番早く飛び込んだ者は、天使に触れることが出来る。

そして、どんな病であっても癒される、と信じられていたのです。

何らかの理由によって、池の水が動く。

すると、「それ!」というので、病人たちが、我先にと池に飛び込む。

もう、他の人のことなど、構ってはいられません。先に飛び込んだ者の勝ちです。

つまり比較的強い、動ける病人でないと、ここにいても、癒されなかったのです。

しかも他人を押し退けて、真っ先に飛び込まなくてはいけません。ですから、ここの病人たちは、皆、ぴりぴりしていたと思います。周りは、敵ばかりだ、と皆が思っていました。

ですから、そこは、「憐みの家」、という名前とはほど遠い、悲惨な、争いの場所でした。

憐みではなく、利己主義、敵意、そして失望が渦巻く所でした。

池の真ん中に、真っ先に飛び込む。それは、力がある人でなければできません。

弱くて、力のない人は、直ぐに飛び込むことができません。

それは、ちょうど、当時のユダヤ教の教えと同じです。

律法を完全に守らなければ、救われない。頑張って、律法を守れば救われる。

人々は、そのように教えられていました。

神様は、池の真ん中で待っている。だから、頑張って、池の真ん中まで、行くことが出来たなら、救われる。当時のユダヤ教の教えは、そのようなものでした。

弱い人、自分の力では、立ち上がることも出来ない人たちは、見捨てられていたのです。

そういう弱い人たちにとって、あの池の真ん中というのは、本当に遠く見えたと思います。

距離的には直ぐ近くです。目の前にあります。しかし、そこに真っ先に飛び込むということは、本当に遠いことのように、思えただろうと思います。

彼らにとっては、単に池が遠かったのではありません。神様の恵みが遠かったのです。

神様ご自身が、彼らにとって、遠い存在だったのです。

主イエスは、まさに、そのような人たちの只中に、自ら降りていかれました。

憐れみとは名ばかりで、自己本位な競争と、敵意と、失望の渦巻く中に、憐れみの主ご自身が、自ら降りていかれたのです。

この時、エルサレムの町は、祭りを祝っていました。大勢の人々で、満ち溢れていました。

しかし、その大勢の人たちの中で、ベテスダの池の、病人たちのことを思う人は、誰一人いなかったのです。皆が、お祭り気分に、酔いしれていました。

そんな中で、主イエスお一人が、祭りの雑踏から離れて、病人たちが横たわっている、ベテスダの池に、降りていかれたのです。

私たちは、神様に捨てられている。神様に見放されている。そう思っている人たちの所に、来てくださったのです。そして、祭りのざわめきとは、全く別のところで、静かな、しかし真の慰めの業がなされました。

実は、これは、それまでのユダヤ人の信仰を、全く覆してしまう、大変な出来事なのです。

「ここまで来てごらん、そうしたら、私は、あなたがたを救ってあげよう」。

神様はそういう方だと、ユダヤ人たちは信じていました。

ですから、そこに行く力のない者は、救われない、と思っていたのです。

でも、主イエスは、その人たちの中に、自ら入って行かれて、そういう信仰は間違いだ、と言われたのです。

私は、そんな神ではない。池の真ん中にいて、「ここまで来てごらん、そうしたら救ってあげよう」、そんなことを言う神ではない。

ここまで来れる者は、救うけれども、来れない者は、見捨てる。そんなことをする神ではない。私は、すべての人が、一人も滅びることなく、救いに入れられることを、願っているのだ。

すべての人たちが、生かされることを、願っているのだ。

主イエスは、そのことを、行動で示して下さったのです。

祭りの賑わいをよそに、この池を訪ねてくださったのは、神様です。御子なる神様です。

一方では、大勢の人たちが、賑々しく、神殿で祭りをしています。

彼らは、神様はここにいる、と思っていました。

しかし、神様は、そこを抜けだして、人々から見捨てられた人たちの所に、来てくださっているのです。これは、本当に不思議な出来事です。しかし、本当に素晴らしい出来事です。

茅ヶ崎恵泉教会の愛する兄弟姉妹、私たちの信じている神様は、そういう神様なのです。

主イエスは、この池のほとりで、一人の病人に出会います。

この人は、何と38年間も、病気であったと記されています。

その人が、横たわっているのをご覧になって、主イエスが、最初に語りかけた言葉は、「良くなりたいか」、という言葉です。

これは愚問のように聞こえます。良くなりたいに決まっているからです。

では何故、主イエスは、愚問と思われるようなことを、敢えて問われたのでしょうか。

病人にとって最も大切なことは何でしょうか。それは、最後まで諦めずに、希望に生きることではないでしょうか。自分の人生を、放り出さないということです。

たとえ、病気が癒されなくても、その病気を受け入れ、その病気と一緒に生きていく。

そういう、新しい生き方を、していくことです。でも、諦めてしまったら、何も起こりません。

ですから、主イエスがここで、「良くなりたいか」、とお聞きになったことは、意味があるのです。あなたは、ここで尚、新しい生き方をしたいと願っているか。

そういう意味をもって、主イエスは問われたのです。

そうであるならば、この主イエスの問いは、この病人だけではなく、私たち一人一人にも、投げ掛けられている、問いであると思います。

あなたは、「良くなりたいですか」。心から、「良くなりたい」と願っていますか。

神様が与えてくださる、新しい生き方がしたいと、心から願っていますか。

救われた者としての人生を、もっとはっきりと生きたいと、あなたは心から願っていますか。

このように問われたら、私たちは、ハッとさせられるのではないでしょうか。

いつの間にか、今の生き方の中に、座り込んでしまっている。

安住してしまっている、ということはないでしょうか。

主イエスはここで、病気の人に、「良くなりたいか」、とお聞きになられました。

普通なら、当然、「はい、良くなりたいです」、と答えるところです。でも、この人は、そうは答えませんでした。

この人は、「主よ、水が動くとき、わたしを、池の中に入れてくれる人が、いないのです」と言ったのです。聞かれたら、先ずそれが、出てくるのです。

「入れてくれる人がいないのです。いくら、良くなりたくても、池に中に入れなければ、どうしようもないのです。自分より元気な人が、いつも先に飛び込んでしまうのです。」

そういう経験を、何回も、何回も繰り返して、もう望みを失っているのです。

「私を入れてくれる人がいない、だから良くなれない」。この人は、諦めていたのです。

望みを失っていたのです。池の水が動くたびに、今度こそと思っても、他の人が入ってしまう。「あぁ、あの人がいるから、私は治らない」。「自分には、助けてくれる人がいない。だから、自分は治らない」。そういう諦めと不満が、心の中に、だんだんと積み重なっていく。

体の病気も大変ですが、そういう心の問題の方が、ずっと大きいのかも知れません。

そういう人に向かって、主イエスは、「起き上がりなさい」と仰いました。

「起き上りなさい。床を担いで歩きなさい」、と仰ったのです。

主イエスは、肉体のことよりも、むしろ心のことを、言われたのだと思います。

あなたは、心が座り込んでしまっている。だから、そこから「起きなさい」、と言われたのです。これは、命令です。主イエスの命令です。

憐みの池のほとりで、憐れみから見放されて、生きてきたこの人に、憐れみ「そのもの」である主イエスが、「立て」と言われたのです。

その同じ言葉を、主イエスは、今、私たちにも、語り掛けておられます。

私たちは、ただ恵みによって救われ、憐れみによって、キリスト者にしていただきました。

でも、あらゆる点において、未だ不十分です。足りないところがいっぱいあります。

神様を愛することにおいても、隣人を愛することにおいても、不十分です。

身近な人でさえも愛せない。愛さなければならないと思っても、愛せない。

しかし、そういう自分であることを、半ば諦めてしまっている。

どうせ出来ないと思って、座り込んでしまっている。そういうことはないでしょうか。

そういう私たちに、「恵みによって生かされた者として、立ちあがって、歩きなさい」、と主イエスは命じておられるのです。この言葉を、今朝、もう一度、心に刻みたいと思います。

さて、先ほど、この病気の人は、「誰も自分を、池に入れてくれない。誰も自分を、助けてくれない」と言って、諦めと不満の中に、座り込んでいる、と申しました。

こういう人のことを、「くれない族」というのだそうです。「〇〇してくれない」と、いつも不満を言っている人のことです。

カトリック作家の曽野綾子さんは、その著書の中で、老化現象を計る基準値として、この「くれない指数」がある、と書いています。

他者への不満と依存が高い時、その人は自立心を失い、老いてしまうのだそうです。

しかし、これは、何も、高齢者だけではないと思います。

若者の中にもこういう人は多いと思います。いえ、全ての人の中に、こういう思いはあります。子どもの頃は、「親がしてくれない」、「先生がしてくれない」。

大人になれば、「上司がしれくれない」、「会社がしてくれない」。

結婚すれば、「夫がしてくれない」、「妻がしてくれない」。

教会に行けば、「牧師がしてくれない」、「教会がしてくれない」。

では、「してもらったので、自分は幸せになりました」、という人はいるでしょうか。

確かに、してもらった直後は喜びます。でも、直ぐに次の不平・不満が始まって、相変わらず、「くれない指数」は高いまま、という人が殆どだと思います。

ベテスダの池のほとりに、38年間も横たわっていた、この人もそうでした。

他者への不平・不満、他者依存の高さが、彼を寝床に縛り付けていたのです。

主イエスが、この人にしたことの、本当の意味は、「してくれない」を、「してくれた」に、変えることではありませんでした。

主イエスが命じられたことは、「くれない指数」最高値の寝床を、自ら捨てて、立って歩くことでした。そして、今、既に、与えられている恵みに、目を注ぐことでした。

皆さん、自らを振り返ってみましょう。お互いの「くれない指数」は、どの程度でしょうか。

それを思うと、恥ずかしい思いが、心に湧き上がってきます。

では、主イエスは、どうだったでしょうか。

主イエスは、私たちのために、すべてを献げてくださいました。その命さえ、与えてくださいました。でも、私たちは、主イエスに、何もしていません。むしろ、裏切り続けています。

それにも拘らず、私は、主イエスの「くれない指数」は零だろうと思います。

ですから、あの十字架の上で、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」という、驚くべきお言葉を、語ることができたのだと思います。

そして、主イエスは、私たちすべてが、ご自分に似た者となり、「くれない指数」を下げていくことを願っておられます。

私が、あなた方に与えた恵みに、目を留めるならば、下げることが出来る筈だ、と言われているのです。

この主イエスの願いに、見事に応えて生きた、あるご婦人の話をさせていただきます。

中川恒子さんという方です。戦後、間もなくのことです。

彼女は結婚して、二年で結核に罹りました。

たった一人の子供の、世話も出来ず、やがて愛する夫とも離れて、施設に入りました。

夫は、遠くから、毎週訪ねてきました。恒子さんは、愛する夫の負担を考え、自分の方から、離婚して欲しいと申し出ました。夫は、激しく反対して、怒りました。

しかし、恒子さんがあまりに強く言うので、形式だけだよ、と言って判を押しました。

法的に離婚した後も、夫は相変わらず、恒子さんの病室を訪れました。

しかし、次第に、その回数が減り、間隔が伸びてきました。そして、やがて、夫の訪問は全く途絶えてしまいました。暫く経って、夫が再婚したことを、風の便りに聞きました。

自分から申し出たこととはいえ、恒子さんは、絶望的な思いに、沈んで行きました。

「誰も、私の気持ちを分かってくれない」。まさに、「くれない指数」100%の状態でした。

しかし、そのような絶望のどん底で、彼女は、主イエスと出会ったのです。

主イエスの大きな恵みの世界に、入れられていったのです。

彼女の「くれない指数」は、主イエスによって、どんどん低くされていきました。

この素晴らしい恵みを、何とかして一人でも多くの人々、とりわけ結核患者に伝えたい。

恒子さんは、そう願って、それから25年間、病魔と戦いながら、全国の結核患者に向けて、文書伝道を続けました。そして、多くの人々を慰め、励まし、信仰へと導きました。

彼女は、死の直前、包装紙の裏に、遺書を書き残しました。

その遺書が、彼女の著書、「ベテスダの池のほとりで」、という本に、納められています。

週報の、【牧師室より】にも、記されていますので、ご覧ください。こういう遺書です。

『召天のお知らせ

すばらしい召命です/歓喜でいっぱいです/私は本当に恵まれた病人でした。

私を生かしよく用い/そして死をとおして

神のみもとにまで引き上げてくださる/イエス様に感謝します。

お支えくださった沢山の方々の真心と愛/それこそ私のクスリ、私の宝でした。

ありがとうございました。/ではまた天国でお会いしましょう。

ごきげんよう/アウフ・ビーダー・ゼーン/1971年10月17日 恒子』

人が見たら、不幸と悲しみだけのような人生。そういう中にあって、恒子さんは、「歓喜でいっぱいです。私は、本当に恵まれました」、と言っているのです。

主イエスと真実に出会った人は、ここまで「くれない指数」を、下げることが出来るのです。

愛する兄弟姉妹、今日から、お互いの「くれない指数」を、主イエスにあって、下げていこうではありませんか。

「くれない指数」零の、主イエスを見上げて、共に歩んで行こうではありませんか。

そして、茅ヶ崎恵泉教会を、まことの「ベテスダの池、憐れみの池」にしようではありませんか。