「そしてペトロにも、私にも」
2016年03月27日 聖書:マルコによる福音書 16章1節~8節
教会での大切な業の一つに、ご葬儀があります。愛する信仰の友の、葬りの式を、心を込めて行う。これは、教会にとって、大切な業です。
今朝、この礼拝でバプテスマを受けられる、堀口実佳さんは、武信正子姉妹のご葬儀の時に、初めてこの教会に来られました。その時、お別れの時であるのに、なぜか、心が温かくなる、という不思議な体験をされたそうです。そして、その後礼拝に、出席されるようになり、今日のバプテスマへと、導かれたのです。
キリスト教のご葬儀は、召された方のために、執り行われるのではありません。
召された方は、既に、天の御国に帰られ、主の御懐に抱かれておられます。
既に、主の御許に、おられるのですから、遺された私たちが、召された方のことを、心配する必要は、ないのです。
ご葬儀は、この地上に、遺された者たちのために、執り行われるのです。
遺された方々の上に、神様の慰めと、平安を祈るために、執り行われるのです。
では、主イエスが、息を引き取られた時は、どうだったでしょうか。心温まるような、ご葬儀は、なされたでしょうか。遺された者に対する、慰めの時は、与えられたのでしょうか。
聖書には、主イエスの埋葬の記事は、記されています。
主イエスが、十字架の上で、息を引き取られたのは、金曜日の午後3時頃でした。
その時から、その日の日没まで、恐らく3時間もなかったと思いますが、その短い間に、あたふたと、埋葬が行なわれました。
主イエスの弟子たちは、蜘蛛の子を散らすように、逃げ去ってしまって、誰一人として、主イエスの遺体を引き取りには、行きませんでした。
そこで、アリマタヤ出身の、ヨセフという議員と、かつて主イエスを、秘かに訪ねたことのあるニコデモが、遺体を引き取りました。そして、慌ただしく、埋葬の準備をして、アリマタヤのヨセフが所有していた、新しい墓に、主イエスを埋葬したのです。
ルカによる福音書によれば、主イエスと一緒に、ガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後をついて行き、埋葬を見届けた、と書かれています。
この婦人たちは、十分なお別れもできずに、心残りなことであっただろうと思います。
心が温かくなるような、ご葬儀は、行われなかったのです。
当時のユダヤの一日は、日没から始まり、翌日の日没で終わりました。
主イエスの埋葬が終わって、日が暮れると、翌日の土曜日、つまり、ユダヤ教の安息日になってしまいます。安息日には、何もすることが、出来ませんでした。
ですから、その安息日が終る、土曜日の日没を待って、彼女たちは、行動を開始しました。
土曜日の夜の間に、香油を買い求め、そして、日曜日の明け方、日が昇ると直ぐに、墓に向いました。婦人たちは、主イエスのご遺体に、香油を塗るために、墓に行ったのです。
残念なことに、ご葬儀ができなかった。でもせめて、ご遺体に、香油を塗らせていただきたい、と切に願ったのです。
しかし墓は、大きな石によって、塞がれていました。一説によれば、大人の男20人位が、力を合わせて、やっと動かすことが出来るような、大きな石であった、と言われています。
その上、墓石には、封印がしてあり、墓の前には、番兵もいたのです。
ですから墓に入って、主イエスのご遺体に触れるには、二重、三重の障害があったのです。
それにも拘わらず、婦人たちは、墓に行きました。墓の中に、入れるかどうか。その見通しも、全くつかないままに、出掛けたのです。それは、主イエスに対する、深い愛の故でした。
墓の中に、入ることすら、出来ないかもしれない。それなのに、夜の間に香油を買って、朝一番に出掛けていく。この世の常識からみれば、愚かな行為です。
無駄足になる可能性が、極めて高いからです。でも彼女たちは、出掛けました。
「愛には、計算が成り立たない」、といった人がいます。彼女たちの行為は、世の中の計算上は、正当化できません。しかし、それが愛です。
考えてみれば、主イエスのご生涯、そのものが、計算上では、愚かなことばかりでした。
その極めつけは、十字架です。ご自身に敵対する人間を救うために、十字架にかかり、その十字架の上で、尚も、ご自分を十字架につけた人々のために、執り成しの祈りを献げる。
こんな愛は、この世の常識では、あり得ません。人間の計算を、超えています。
婦人たちは、この主イエスとの、愛の絆を、断ち切ることができずに、先のことも考えずに、墓に向かったのです。いても立っても、いられなかったのです。
彼女たちは、「だれが墓の入り口から、あの石を、転がしてくれるでしょうか」、と心配しながら、道を急ぎました。しかし、そこで、彼女たちは、驚くべき、神様の御業を、見たのです。
墓の入り口を塞いでいた、大きな石が、既に、脇へ転がしてあったのです。
婦人たちが、主イエスに近づくことを、妨げていた大きな石。その石が、既に、取り除かれていたのです。彼女たちの、主イエスを愛する愛に、神様が、応えてくださったのです。
「信じるならば、神の栄光を見るであろう」と、主イエスは言われました。彼女たちは、まさに、その主イエスのお言葉を、体験したのです。
主イエスの墓を塞いでいた、この大きな石は、私たちが、信仰の旅路を歩んでいく時に、行く手に立ち塞がる、様々な障害を表している、と見ることができます。
信仰の旅路には、様々な障害が、立ち塞がります。しかし、信じて祈っていくならば、その石は、必ず取り除かれます。主が、取り除いてくださいます。
チイロバ牧師として親しまれていた、榎本保郎先生の本の中に、こんな話があります。
榎本先生が開拓した教会に、T君という、一人の高校生が来ていました。とてもやんちゃな子でしたが、熱心に求道するようになり、いつしか高校生会のリーダーになりました。
高校3年の時、T君は、献身者キャンプに参加しました。献身者キャンプとは、将来、牧師になることを、決心するためのキャンプです。
榎本先生も、講師の一人として、参加しました。そのキャンプの最後の集会で、「献身の志を固めた人は、前に出て、決心カードに署名しなさい」、という招きがなされました。
招きに応えて、泣きじゃくりながら、立ち上がる者。こぶしで涙を拭いながら、前に進み出る者。若者たちが、次々に立ち上がって、震える手で、署名しました。
しかし、T君は、なかなか前に出て行きません。頭を垂れて、じっと祈っています。
招きの時が、終わろうとした時、遂に、T君は、立ち上がって、前に進み、決心カードに、名前を書き込みました。
席に戻ってきたT君は、真っ青になって、ぶるぶる震えていました。決心したことで、精神が高揚したこともあったと思います。しかし、T君には、もっと深刻な、問題があったのです。
T君は、とても勉強のできる生徒でした。ですから、両親は、大きな期待を、彼に懸けていました。両親は、彼が、京都大学の工学部に入ることを、ひたすら願っていたのです。
それが、両親の、生き甲斐とも、言えるほどでした。
それなのに、もし、T君が牧師になる決心をした、と聞いたなら、両親は、どんなに、がっかりするだろうか。どんなに、怒るだろうか。
両親の期待の大きさを、身に沁みて知っているだけに、T君は、両親に、どのように打ち明けたらよいか、途方に暮れていたのです。そして、両親の落胆と、怒りを、想像しただけで、いたたまれない気持ちに、なっていたのです。
T君は、真っ青になって、「先生、祈ってください」、と榎本先生に頼みました。
榎本先生にも、その気持ちがよく分かりました。榎本先生とT君は、ひたすら祈りました。
祈るより他に、すべはなかったのです。その時、榎本先生の心に浮かんだのが、先ほどの4節の御言葉、「石はすでに転がしてあった」でした。
榎本先生は、「T君、神様は、必ず、君の決心が、かなえられるように、備えてくださる。
『石は、すでに転がしてあった』、という御言葉を信じよう」、と力づけました。
それを聞いて、T君は帰っていきました。しかし、T君から、両親との話し合いの結果が、なかなか報告されてきません。榎本先生は、どうなったか、心配でたまらず、T君の家の前を、行ったり来たりしてしまったそうです。
帰ってから、三日たった夕方、げっそりやつれた彼が、教会にやってきました。
そして、「先生、石は、のけられていませんでした」、と言ったのです。
父親は、激しく怒り、母親は、食事も取らずに、ただ泣き続けている、と報告しました。
榎本先生は、暗い気持ちになって、「どないする?よわったなぁ」と、呟きました。
その時、「先生、『石はすでに転がしてあった』というあの御言葉は、どうなっとるんですか」。T君の鋭い言葉が、迫ってきました。先生は、自分の不信仰を気付かされ、「いや、あの御言葉は、君にも必ず、成就するよ」と、T君と、自分自身に、言い聞かせました。
それから、半月ほどたって、T君の両親が、教会を訪ねてきました。「息子をたぶらかした悪者」、と罵られるものと思って、戦々恐々として迎えた、榎本先生は、びっくりします。
「先生、息子を、よろしうお願いします」。両親は、そう言ったのです。
頭を下げたお父さんは、両肩を震わせながら、じっと涙をこらえていました。お母さんは、手をついたまま、泣きじゃくっていました。両親は、T君の献身を、許してくれたのです。
「石は、すでに転がしてあった」のです。この御言葉は、T君の上に、見事に成就したのです。その後、T君は、牧師となって、よい働きをしているそうです。
皆さん、私たちの信仰の歩みにも、大きな石が、立ち塞がることがあります。しかし、どこまでも、善にして、善をなされる、主を信じ、祈り続けましょう。
必ず、「石は、すでに転がしてあった」という、神様の御業を、見させていただけます。
T君のように、そして、主イエスの墓に行った、婦人たちのように、必ず、御業を見させていただけます。
さて、7節で、御使いは、婦人たちに、使者としての、使命を与えています。主イエスの復活の出来事を、弟子たちに伝える、という使命です。
「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」
御使いは、「弟子たちとペトロに告げなさい」、と言っています。
しかし、よく考えてみれば、これは、少しおかしな言葉です。
「弟子たちに告げなさい」と言えば、当然ペトロもその中に含まれている筈です。
それなのに、何故、わざわざ「弟子たちと、ペトロに告げなさい」、と言ったのでしょうか。
何故、ペトロの名前を、わざわざ付け加えたのでしょうか。
ペトロは、主イエスの、一番弟子として、いつも先頭に立っていました。
彼自身、一番弟子として、「我こそは」、という意識を、持っていたと思います。
ですから、問われもしないのに、服従を激しく誓いました。
『たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません』と、豪語しました。
また、『たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを、知らないなどとは、決して申しません』と、胸を張って言ったのです。
そして、あの逮捕の夜には、勇敢にも、剣をぬいて、切りかかったのです。
しかし、その後は惨めでした。主イエスが、捕えられてしまうと、途端に、恐ろしさに襲われ、主イエスを見捨てて、逃げ去ったのです。主イエスの裁判の場では、弱さをさらけ出して、三度も、主を知らないと言って、否みました。
大見得を切ったにも拘らず、三度も主を否定したペトロ。それだけに、ペトロは、自分は使徒として、全く相応しくない、ということを、よく知っていたと思います。
自分は、とても、使徒と呼ばれるような、人間ではない。弟子たちの中に、名を連ねることさえ、相応しくない。そういう自覚に、生きていたのでは、ないでしょうか。
それが、「そしてペテロにも」、という言葉が、付け加えられた、理由なのです。
主の言葉を告げる御使いは、「弟子たちに、それから彼にも、あのペトロにも告げてやれ」、と言いました。「そうそう、あのペトロにも。きっと、落ち込んで、自己嫌悪に陥っている、あのペトロにも告げてやりなさい」。主の御使いは、そう言ったのです。
このことを黙想していた時に、もう一つの御言葉が、想い起されました。
それは、コリントの信徒への手紙一15章8節の御言葉です。そこでは、使徒パウロがこのように言っています。「そして最後に、月足らずで生まれたような、わたしにも現れました」。
パウロは、復活された主イエスが、ペトロに、先ず顕れてくださり、次に12弟子に顕れ、その後、全ての使徒に顕れ、そして最後に、月足らずで生まれたような、わたしにも現れました、と言っているのです。
復活されたキリストが、この私にも顕れてくださり、私にも、その恵みを、示してくださった。
パウロは、溢れる思いをもって、こう語っているのです。自分は、月足らずで生まれた、未熟児のような者だ。自分は、使徒と呼ばれる、資格などない者だ。
しかし、こんな私にも、甦りの主は、現れてくださった。こんなに小さな、価値なき者をも捕らえてくださり、使徒として用いてくださった。何という恵みだろうか、と言っているのです。
御言葉の中で、パウロは、復活のキリストに、出会った人の、リストを記しています。
その筆頭は、ペトロです。そして、長いリストの最後に、「月足らずで生まれたようなわたしにも」と、パウロ自身のことが、ひっそりと付け加えられています。
パウロが作ったリストでは、復活の証人の筆頭が、ペトロであり、末席がパウロなのです。
リストの最後に置かれた者として、パウロは、「こんな私にも」、と言っているのです。
しかし、その思いは、リストのトップにいる、ペトロもまた、同じように持っていたと思います。
「弟子たちとペトロに」、という言葉と、パウロが言っている、「こんな私にも」、という言葉は、同じことを言っているのです。
主イエスを、三度も否んだ、弱いペトロ。かつて、主の教会を、激しく迫害したパウロ。
どちらも、主イエスの、復活の証人として、相応しいとは思えません。
しかし、そのようなペトロや、パウロを、主は慈しんでおられたのです。
つまずき、倒れ、傷だらけのペトロを、再び立ち上がらせ、無学な、ただの人から、殉教者にまで、至らせたのは、主の愛でした。ペトロの弱さを担い、彼の罪を、ご自身の罪として、十字架にかかってくださった、この主イエスの愛が、彼を再び立ち上がらせました。
パウロも同じです。教会を迫害したパウロを、主は、尚も愛してくださり、使徒として用いてくださったのです。
そして、その主イエスの愛は、同じように、私たち一人ひとりに、今も注がれています。
こんな私たちにも、主は、慈しみを、限りなく注いでくださり、用いてくださっています。
私たちも、復活の主によって、支えられ、復活の主の、弟子とされているのです。
弱いペトロを、どこまでも愛され「そうそう、あのペトロにも、告げてあげなさい」、と仰った主。教会を迫害したパウロにも、顕れてくださり、使徒として、大きく用いてくださった主。
その主は、今、私たち一人ひとりにも、語り掛けてくださっています。
「そう、そう、あの柏にも告げてあげなさい。弱い、だらしない、あの柏にも」と。
リストの最初であろうと、最後であろうと、どこに置かれていても、「この私にも」、という思いは同じなのです。
救われるに、相応しくない者であるにも拘らず、ただ、一方的な恵みによって、救われ、生かされていることに、変わりはないのです。
私たちが、今、このように生きている。今、ここに、このようにある。
これは、神様の恵みによるのです。私たちは、神様の、一方的な恵みによって、救われて、今、ここにいるのです。私たちは、このことを、当たり前のように、考えていないでしょうか。
イースターのこの朝、私たちは、今一度、その恵みを、想い起したい、と思います。
「そう、そう、あのペトロにも、あのパウロにも、そしてあの柏にも、このことを伝えておやり。私の救いのメッセージを、届けておやり。弱くて、だらしない、柏にも」。
主イエスは、今もそのように、私たち一人一人に、語りかけておられます。
その恵みを、心から感謝しつつ、共に歩んで行きたいと願います。