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柏牧師:過去の礼拝説教

「神の国の法則に生きる幸い 伊奈聡牧師」

2016年09月25日 聖書:マタイ福音書6章19~21節

只今ご紹介に与りました、喬木教会の伊奈聡です。

今日は皆様と共に主を礼拝できますこと、ここから嬉しく思い、感謝しております!ただ、嬉しくはあっても、尊敬する柏先生からお声をかけていただき、その先生を前に語ること、またいつも柏先生のお話を聞いておられて、耳の肥えておられるであろう皆様の前で語ることは、かなり緊張します。そういう意味では、柏先生の息子というか、孫が語っている、くらいな感じで、温かい気持ちで聞いていただけたら、感謝です。私としましては、主から導かれたことを精一杯取り次がせていただきたいと願っております。

今日導かれています箇所は、マタイ福音書6章。19節からお読み頂きました。ここは「山上の説教」ということで有名な個所であります。ここから、私たちの目標と、天の国の民となった者の歩みがどのようなものであるのか、共に考えつつ、主の導きをいただきたいと思います。

イエスさまは公の生涯に出てから、人々に神の国について教えましたけど、その内容、回数を数えた人がいました。どのように区切るのか、イマイチよくわかりませんでしたが、その方の数え方によりますと、「祈り」についての教えは、500回。「信仰」については500回。イエスさまが教えることですし、合計千回も教えているのですから、3年間という公生涯で教えられるリミットはこれまでかな、と思ったのですが、その方は他に、もう一つのことに関して、2000回教えていると言うのです。祈りや信仰に関すること以外で一体何についてそんなに教えておられると思いますか?それは、「金銭と所有物」に関してであります。

教える時、パウロのように律法からどうのこうのと教えませんでした。たとえ話を用いて教えられました。このたとえ話の内容も、必然的に割合が決められてきます。福音書には38回のたとえ話が登場しますが、そのうち半分近くの16回は金銭についてです。他が信仰や、祈りについてということです。

何でこんなに金銭についてイエスさまは繰り返し語られ、教えられたのでしょうか?イエスさまは、お金が大好きだった?趣味が貯金だった?献金してくれる人が大好きだった?違いますね。実は金銭というものは、神さまが私たちを試す上で、とても重要なツールだったからです。そして、神さまが大切な道具として用いるものですから、悪魔の誘惑というのも、ここに強く働いてしまうのです。イエスさまは、私たちにこのテストに合格して、恵みから恵みへと成長し、神さまの祝福の中を歩んで欲しいと願われているのです。だから、繰り返し繰り返し、金銭とどのように付き合うのか、用いるのかを教えておられるのです。

考えてみると、私たちもお金の使い方を見て、人の心がどこに向いているかを測ることがありますよね。食べ物、旅行、趣味、献金、衣装、仕事、勉強…自分が今一番大事、一番やりたい、一番欲しい、というものにお金を注ぎ込みますからね。

皆さんは若かりし頃、デートなんてしましたか?最近はどんなデートをしているのか知りませんが、私たちの時代はまぁデートにお金をかけました。相手に気に入ってもらえるために、プレゼントをしたり、食事に行ったり、遊びに行ったり。かけるお金で、その人への思いをアプローチしたわけです。でもそれは自然とそうなりますよね。だから、金銭がテストになってしまうわけです。「あなたは私を愛しているか?ならば、出納長を見せなさい」と。

私たちの住んでいる世界は結構大変な所ですよ。世は私たちにお金の価値観を教えます。お金を持つことが心に平安をもたらし、幸せな生活を保障し、人間づきあいも上手く行く秘訣だ、と教えるのです。多くの人は「確かにそうだ」と。私も結婚する時、妻の父親から言われました。「信仰だ、愛だというかも知れないが、夫婦関係、結局はお金なんだぞ!収入は安定しているのか!?」と。

でも本当にお金があれば平安で保障され、全てが上手く行きますか?世の中で起こるいざこざ、争い、その原因は何ですか?

聖書は何と教えていますか?「神の国と神の義を第一に求めなさい。そうしたら、必要は全て与えられる!」(マタイ6:33)とイエスさまが宣言されました。経済中心ではなく、神の御心中心で動け、というのです。

妻の父から言われたこと、ちょうど会った老夫婦の宣教師に話しましたら、その方は言いました。「私たちを見てごらん。お金はないよ。でも世界中を旅して、良い生活をしているよ」と。私も今、同じことが言えます(まだ世界中を旅はしていませんが)。

この世は、「今」という時間に目を向けさせ、今を過ごすために「お金」を求めさせます。でも聖書は、「永遠」という時に目を向けさせ、「御心」を求めさせます。どちらが幸せだと思いますか?

日本の文化というのは、勤勉と、どちらかというと貯めることに一生懸命にさせるものではないですか?悪いことではありませんね。でも貯めすぎるとどうなるのでしょうか。イスラエルにある二つの湖の話はご存知だと思います。北にあるガリラヤ湖は、水をヨルダン川に流します。水が循環しているので、魚も住みます。でも南にある死海はどうでしょう。もともと海抜がマイナス400mですから、他に流れていくことが出来ません。そして周囲の温泉からも水が流れ込んでいるせいか、水分が乾燥し、塩分濃度が高くなるようです。海水の10倍はあるそうですよ。生き物が生息できないのです。

金銭、貯めれば将来安心、といえるかも知れないけれど、それは死海のようになりかねない世の中です。そうしたら自分も他者も生かせないことになります。

神さまは私たちの生活を支える金銭について、特にマラキ書で言われますが、「1/10を捧げてみなさい」と。そうしたら神さまが天の窓を開いて、溢れるばかりの恵みを注ぐ、というのです。

私たちの教会員の家庭にお菓子屋さんがいます。彼の父と兄たちがそのお菓子屋さんを経営していたのですが、ある時、労働組合の働きによって会社が倒産する羽目になりました。約50年前です。社員に裏切られ、多額の借金を抱えて倒産。どうにもならないと言う時、そこの現会長が元旦礼拝に出席していた時です。そのマラキ書3:10が語られました。当時は文語訳ですがこうあります。「わが殿(みや)に食物あらしめんために、汝ら什一をすべて我が倉に携え来たれ。しかして是をもて我を試み、我が天の窓を開きて容(い)るべき処なきまでに恵みを汝らに注ぐや否やを見るべし。万軍の主、これを言う」。これを聞いて、素直に従おう、と。それで会社を再建するのです。その時につけた名前が「天恵製菓株式会社」です。本当に会社として周囲の教会に献金し、地域に寄付し、神の倉に献げ物をするのです。その結果どうなったでしょうか。お菓子の単価は結構小さいものですよ。それでも毎年黒字決済。第一工場から始まり、第二、第三。私が赴任してから、第四工場ができました。一つ一つの工場がでかいのです。それでも足りない、ということで先日、第五工場の起工式を執り行いました。豊かに祝福されています。

聖書で主が言われていることは、全ては主のもの、ということですね。そのしるしとして、最初の1/10を主の宮に捧げろ、と。そうしたら残りの9/10を祝福する、というのです。この原則は旧約の時代から、今現在、未来に至るまで適用されるものです。だから、皆さんも什一献金をされますよね。

私たちの教会は、捧げることにチャレンジしています。そうするとどうでしょう?私たちの教会も、村の小さな教会ですがとても恵まれていますよ。そして献金を豊かに捧げる人で、貧しくなる人はいない、ということを証明しています。さらには、捧げる喜びを広げます。新しく入ってきた人は、捧げて祝福される人みるので、その人たちも自然と捧げるようになるのです。

確かに主に捧げるというのはチャレンジングなことでしょう。だから信仰も必要ですね。でも私たちが救われた時のことを考えてみてください。私たちが救われるという信仰に基づいて、神さまはご自身の独り子を捧げたのです。そのお陰で恵みの世界が広がりました。私たちは主に習うものです。その主が広げられた恵みの世界に住み、さらにはその恵みを豊かにし、広げていくのは、私たちです。主に習い、大いに捧げていきましょう。