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柏牧師:過去の礼拝説教

「祈る教会」

2018年12月02日 聖書:使徒言行録 12:1~11

今朝の御言葉は、教会にとって、最も大切なことを、私たちに教えてくれています。

教会にとって、最も大切なこと、それは祈りです。

迫害の中にあった、エルサレム教会は、祈る教会でした。迫害に対する、教会の唯一の対抗手段。それは、祈りであったのです。

エルサレム教会への迫害は、使徒ペトロとヨハネに対するもの、ステファノに対するもの、ギリシア語を話すユダヤ人クリスチャンに対するもの、というように断続的に起こりました。

これらの迫害は、いずれも、祭司長や律法学者など、宗教的指導者たちからのものでした。

ユダヤ教の指導者たちが、宗教上の理由から、教会を迫害したのです。

しかし、今朝の御言葉にある迫害は、今までとは違って、政治的権力者によるものです。

権力者が、政治的な理由から、教会に迫害を加えてきたのです。

一節に、「そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した」、とあります。

このヘロデ王とは、主イエスが誕生された時に、ベツレヘムの幼な子を皆殺しにした、あのヘロデ大王ではありません。彼の孫に当たる、ヘロデ・アグリッパのことです。

バプテスマのヨハネを殺した、ガリラヤの領主ヘロデ・アンテパスの甥に当たる人物です。

そのヘロデ・アグリッパは、ユダヤ人たちが、キリスト教徒を嫌っていることを知って、キリスト教徒を迫害すれば、自分の人気が高まると考えました。

そこで、ヨハネの兄弟ヤコブを捕えて、剣で殺してしまったのです。

権力者というものは、権力の維持のためなら、どんなことでもやりかねないという、恐ろしさを持っています。悲しいことに、昔も今も、政治家は、大衆迎合主義、ポピュリズムに安易に走るという、過ちを犯し続けています。

ヘロデは、ヤコブを殺したことが、ユダヤ人に喜ばれるのを見て、彼らの歓心を更に買おうとして、次は、教会の中心人物である、ペトロを捕らえて、投獄しました。

ペトロを処刑することによって、更に、自分の人気を、高めようとしたのです。

しかも彼は、このことを、宣伝効果満点の状況の中で、実行しようと計画しました。

3節の終わりに、「それは、除酵祭の時期であった」、とあります。

除酵祭は、過越の祭に続いて、1週間に亘って祝われる、ユダヤ最大の祭りです。

多くの人々が、この時期に、エルサレムに巡礼に来ます。

祭の興奮が冷めやらぬ人々の前に、ペトロを引き出して、見せ物的な裁判を行い、彼を処刑する。そうすることによって、ユダヤ人たちから、更なる支持を得ようとしたのです。

エルサレム教会は、使徒の中から、ヤコブという最初の殉教者を出し、今また、最高指導者であるペトロも、処刑寸前という、最大の危機に瀕していました。

4節には、ペトロが厳重な監視の下に、置かれていたことが語られています。

四人一組の兵士四組が、交替で監視に当たっていました。6節を見ますと、「ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた」、とあります。つまり、ペトロの右と左に、兵士が一人ずついて、ペトロの手と自分の手を、鎖でつないでいたのです。

他の二人は、戸口で番兵として見張っていたのだと思います。異常なまでの監視体制です。

10節を見ますと、その牢獄を出るためには、第一、第二の衛兵所を通り、更に鉄の門を、通らなければなりませんでした。脱獄は絶対に不可能な状況でした。

このような状況の中で、教会は一体、何をしていたのでしょうか。5節はこう言っています。

「こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた」。 この危機に際して、教会がしたことはただ一つ、祈ることでした。

日本語の聖書にはありませんが、原文では、「教会では」の前に、「しかし」という、接続詞があります。

ペテロは、権力者によって、獄に入れられ、処刑寸前です。それに対して、教会は、手も足も出せません。普通なら、もうだめだと、諦めてしまうところです。

「しかし」、「しかし」なのです。教会には、「祈り」という武器が、与えられていました。

教会は、彼のために、祈っていました。

ヤコブの殉教、ペトロの投獄といった、絶体絶命の状態の中で、もはや何の成す術もなく、ただ茫然としていたのではないのです。最後の最後まで諦めずに、祈っていたのです。

キリスト者に与えられている、最大の恵みは、このように、どうすることもできない状態にあっても、祈ることができる、ということです。

私たちは、よく、「祈ることしかできない」、と諦め口調で言います。

「祈ることしかできない」。果たして、そうなのでしょうか。そうではないと思います。

私たちは、絶望的な状況の中でも、なお祈ることができるのです。

「祈ることしかできない」のではなくて、「祈ることができる」のです。

たとえ、私たちを取り巻く状況が、絶望的に見えたとしても、なおそこで、共にいてくださる主を見上げ、主に祈ることができるのです。

目の前に立ち塞がる、厚い壁の向こうに、神様の恵みの世界が、必ず備えられている。

そのことを信じて、祈ることができるのです。そこから慰めと希望を与えられていくのです。

祈ることができる、ということは、すばらしいことなのです。

私たちは、どんな時にも、「祈ることができる」という、大きな恵みを与えられているのです。

私たちは、初代教会のような、厳しい迫害に、遭うことはないと思います。

しかし、人生の途上で、絶望的な状況に陥ることは、あるかも知れません。「もう無理だ」と、呟かざるを得ない。そういう時が、あるかも知れません。

しかし、しかし、なのです。私たちは、そこでも尚、祈ることができるのです。本当に頼るべきお方に、心を注いで、祈ることができるのです。

熱心に祈る教会。そういう教会を、主は願っておられます。

主イエスご自身が言われています。「私の家は、祈りの家と、呼ばれるべきである」。

まことの「祈りの家」となっている教会は、力強く前進していくことができます。

教会は、祈りの共同体です。祈りを通して、喜びも苦しみも、共にするのです。

この時も、エルサレム教会は、ペトロのために、熱心に祈りました。

一つの場所に集まって、共に祈りを合わせたのです。その共同の祈りを通して、牢獄にいるペトロと、苦しみを分かち合いました。

祈りの基本は、一人一人の密室の祈りです。しかし、また、共に集まって、共同の祈りを祈ることも、大切です。祈る教会とは、共同の祈りを、大切にする教会です。

水曜日の朝の、聖書講読・祈祷会を覚えるということは、勿論大切です。

しかし、それだけでなく、様々な集会において、共に祈り合う時を持ち、共に祈る機会を、より多く設けることも、大切なことだと思います。

この時、エルサレム教会の人たちは、共に集まって、ペトロのために、祈っていました。

ですからペトロは、一人で牢に入れられていても、決して孤独ではありませんでした。

牢獄の厚い壁も、ペトロと教会を、切り離すことはできなかったのです。

いえ、むしろ、ペトロと教会との絆を、より強いものにしたのです。

ペトロは、自分のために、真剣に祈ってくれる人たちがいる、ということを知っていました。

ですから、ペトロは迫害の只中においても、平安を与えられていました。

6節には、「ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた」とあります。

過越の祭が終れば、処刑されるということは、ペトロにも分かっていたと思います。

ですから、不安で夜も眠れなかったとしても、不思議ではなかった筈です。

ましてや、二本の鎖で繋がれて、自由を奪われていたのです。

普通であれば、とうてい眠れるような状態では、なかったと思います。

ところが、ペトロは、眠っていたというのです。これは一体どういうことでしょうか。

かつて、主イエスが弟子たちと、ガリラヤ湖を小舟で、渡っておられたときのことです。

激しい突風が起こって、船が沈みそうになりました。弟子たちは、死の恐怖に脅えて、叫び声を上げました。しかし、そんな中で、主イエスは、舟の中で眠っておられました。

やがて、起き上がられると、風を叱り、波を静められました。

ペトロは、その時、恐れおののいて、騒いだ弟子たちの一人でした。

そのような弱いペトロが、明日は処刑されるかもしれないという晩に、二本の鎖でつながれながらも、眠っていたのです。

これは、ペトロが、疲れ切っていたからではないと思います。神様にすべてを委ねて、平安を与えられていたからです。

使徒パウロも、獄中で記したフィリピの信徒への手紙の中で、次のように勧めています。

「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」。

パウロは、牢獄にあっても、「あらゆる人知を超える神の平和」を与えられていたのです。

第二次世界大戦のさなか、全国のホーリネス系諸教会の牧師が、治安維持法違反の容疑で、一斉検挙され、投獄されました。投獄された牧師の中に、米田豊という人がいました。

その米田牧師が、「獄中の感」として、記した言葉が残っています。

こういう言葉です。「過去を思えば感謝。現在は平安。将来は信頼あるのみ」。

何人もの牧師が、特高の拷問によって、獄中で殉教していく中で、米田牧師は、静かに語ったのです。「過去を思えば感謝。現在は平安。将来は信頼あるのみ」。

ここにも、祈りによって、平安を与えられている人の姿があります。

さて、ペトロは、絶体絶命の危機の中から、神様の力によって解放されました。

いよいよ明日は、人々の前に引き出されて、処刑される。その前夜に、主の御使いが、ペトロのもとに立って、わき腹をつついて、「急いで起き上がりなさい」と言いました。

「起き上がりなさい」、という言葉は、単に立ち上がる、というのではなく、「復活する」という意味を含んでいます。

牢獄で、死んだようになっているペトロに、神様が、御使いを遣わして、「ペトロよ、復活しなさい」、と言われたのです。それは、信仰をもって、立ち上がりなさい、ということです。

この言葉に励まされて、ペトロは立ち上がりました。信仰をもって、立ち上がったのです。

すると、鎖が彼の手から、外れ落ちました。鎖は、両側に寝ている兵士の手と、繋がっていた筈です。でも、不思議なことに、兵士は全く気づきません。

この出来事は、私たちに、大切なことを、教えてくれています。

私たちは、よくこう思います。「鎖で繋がれているから、立ち上がれない。色々な困難があるから、立ち上がれない。様々な制約で、縛られているから、立ち上がることができない。」

そう思っている私たちに、主は、今、言われています。

「信仰をもって、立ち上がりなさい、新しく生まれなさい」。その声に応えて、立ち上がった時、私たちは、自分を縛り付けていた鎖が、外されていくのを、見るのです。

諦めて座り込んでいては、鎖は外れません。しかし、「立ち上がれ」、という御声に応えて、信仰をもって立ち上がる時に、主の御業を見ることができるのです。

会堂建築も同じです。様々な困難の鎖に、目を向ける時、私たちは、立ち上がれない思いがします。

しかし、「立ち上がりなさい」という主のお言葉に、信仰をもって応えて、立ち上がる時に、それらの鎖が外されていくのを、私たちは見ることができるのです。

御使いが、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはその通りにします。更に御使いは「上着を着て、ついて来なさい」と言います。ペトロはその後について行きます。

牢の戸はひとりでに開きました。そして、第一、第二の衛兵所も、難なく通り過ぎました。

最後の関門である、町に通じる鉄の門も、ひとりでに開き、町の中に出ました。

ペトロは、これらすべてのことを、幻を見ているような、夢うつつの状態で体験したのです。

御使いが離れ去り、はっと我に返って見ると、彼は、牢から解放されていました。

人間の力を遥かに越えた、神様の御力によって、ペトロは自由になったのです。

そして、こう言いました。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ」。

10節に、鉄の門が「ひとりでに」開いた、と書かれています。この「ひとりでに」という言葉の原語は、「アウトマトス」という言葉で、英語の「オートマチック」の語源となっています。

オートマチック、つまり自動的に、鉄の門が開いたのです。鉄の門だけではありません。

手を縛っていた鎖も、ひとりでに外れ、牢の扉も、ひとりでに開いたのです。

すべて、ひとりでに、自動的になされたのです。

今は、自動ばやりです。給料も自動振り込み、公共料金も自動引き落としです。

では、これらは、本当に何もしなくても、ひとりでに、なされるのでしょうか。

そうではありません。それを可能にするための業が、予めなされているのです。

給料が自動で振り込まれるためには、それに見合う労働が、為されていたからです。

働かなくても、ひとりでに、給料が振り込まれるなら、まことに結構ですが、そうはいきません。それに見合う働きがあってこそ、振り込まれるのです。

公共料金の引き落としでも、事前に電気会社やガス会社と契約を結び、引き落とし日に、口座にチャンと残高が無ければ、引き落としは為されません。

自動扉もそうです。電気が通じていて、センサーが人影をキャチしなければ、開きません。

ですから、自動とは言っても、厳密には自動ではないのです。それを可能にする出来事、裏付けとなる力が必要なのです。全くひとりでに、なされているのではないのです。

ペトロが、外に出られたのも、力が働いたからです。神様の力が働いたからです。

外に出て、我に返ったペトロは、初めて、そのことに気が付きました。

自分に起った、この救いは、ただ神様の恵みの御力によって、なされたことであったのだ。

彼は、そのことを、はっきりと知ったのです。

私たちの人生にも、偶然が重なって、思わぬ出来事が起きる、ということがあります。

思わぬ時に、思わぬ場所で、思わぬ人と出会う。そういう、不思議なことがあります。

しかし、それは、単なる偶然ではなくて、神様のご計画が、働いているのです。

ひとりでに起こった、と思われる出来事の背後に、神様の恵みの御力を、感じ取っていく。

今、初めて本当のことが分ったと、神様に感謝していく。それが、信仰者の捉え方です。

ある人が、「信仰とは、人間的な偶然を、神様による必然と、捉え直す決断である」、と言いましたが、本当に、その通りだと思います。

ペトロの解放も、人間的に見れば、不思議な偶然が重なったに過ぎない、と捉える人もいるでしょう。しかし、ペトロは、その背後に、神様の恵みのご計画を、見たのです。

それで、「今、初めて本当のことが分った」、と言って、神様を賛美したのです。

ペトロの解放は、主の御業でした。そして、それは、教会の祈りに対する、主の答でもあったのです。神様は、教会の人たちの、執り成しの祈りに、応えてくださったのです。

19世紀のロンドンに、スポルジョンという牧師がいました。

タバナクル教会の牧師でしたが、名説教家として、多くの人々から愛されていました。

聖日の礼拝には、6千人もの人々が、スポルジョンの説教を聞きに、集まったそうです。

ある人が、教会員の一人に、スポルジョンの成功の秘訣を尋ねました。

するとその教会員は、「それでは教えて差し上げましょう。こちらにどうぞ」、と訪問客を地下室に案内しました。

するとそこには、4百人もの信徒たちが、説教中の牧師のために、熱心に執り成しの祈りを、献げていたのです。スポルジョンが、神様に豊かに用いられた秘訣は、そこにあったのです。神様は、そのような執り成しの祈りに答えて、スポルジョンを祝福されたのです。

そして教会は、神様が答えてくださることを信じて、熱心に祈っていたのです。

それは今も同じです。私たちが祈るとき、主の御手が動きます。そして、どんなに頑丈な鎖でも外され、どんなに堅固な門でも、開けられていくのです。

神様は、教会の祈りに応えて、御業をなしてくださいます。私たちは、そのことを信じて、祈り続けていきたいと思います。