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柏牧師:過去の礼拝説教

「人の思いと神の計画」

2019年02月17日 聖書:使徒言行録 16:6~10

皆さんは、平和学園、アレセイア湘南中学・高等学校を創立者した、賀川豊彦という人を、ご存知だと思います。

賀川豊彦は、貧困や労働問題や生活協同組合運動などに、献身的に取り組んだ功績が評価されて、3年連続で、ノーベル平和賞の最終候補者となりました。

また、彼が書いた、「死線を越えて」という自伝小説は、日本だけでなく、世界中で読まれて、大ベストセラーになりました。

それによって賀川は、2度に亘って、ノーベル文学賞の候補にもなりました。

しかし彼は、初めから、社会運動家や作家を、志していた訳では、ありませんでした

当初、彼は、牧師になることを願って、神戸神学校に入学したのです。ところが、神学校で学んでいる時に、結核を患い、生死の境をさ迷いました。

奇跡的に、一命は取り止めたが、この先長くは生きられないと、医者から言われました。

それを聞いた賀川は、教会の牧師になることを断念し、自分の短い命を、貧しい人たちのために献げようと決心します。

そして、神戸新川のスラムに住み込み、貧しい人たちと共に暮らす生活を始めたのです。

神様は、そんな賀川を祝福して下さり、72歳で世を去るまで、日本のみならず、世界中で、キリストの愛を実践する生涯へと、導いてくださったのです。

一教会の牧師となっていたら、このような働きは、出来なかったと思います。神様は、牧師になるという道を、閉ざされましたが、より大きな働きへと、賀川を導かれたのです。

神様は、そのようなことを、しばしばなさいます。

アフリカ伝道に生涯を献げた、デビッド・リビングストンは、当初は、中国伝道を志していました。しかし、モファット博士との出会いを通して、アフリカへと導かれました。

近代海外宣教の父と呼ばれた、ウィリアム・カーレーは、南太平洋に伝道に行こうとしました。しかし、インドに導かれ、40年の長きに亘ってインドで伝道し、その地で生涯を終えました。

アメリカの宣教師アドニラム・ジャドソンは、インド伝道を望んでいましたが、ミャンマーに導かれ、やはり40年間そこで伝道し、多くの魂を救いへと導きました。

これらの宣教師たちの場合も、また賀川豊彦の場合も、当初志した働きの場所とは、違う場所に神様は導かれました。

しかし、その事によって、神様のご計画は、大きく広がって行ったのです。

道が塞がれた時は、「なぜ神様は、行こうとする道を塞がれるのだろうか」、という思いに捕らわれて、神様の御心が分からず、悩みます。

しかし、後になって、「あぁ、そうだったのか。神様が、道を塞がれたのは、このためだったのか」、と知らされることがあるのです。

今朝の御言葉のパウロたちも、そのような思いを、味わいました。

先週から、私たちは、パウロの第二回伝道旅行の出来事を、御言葉から聴いています。

この第二回伝道旅行において、キリストの福音が、初めてヨーロッパに伝えられました。

しかしパウロは、最初から、ヨーロッパにまで、行こうと思っていた訳ではありません。

第一回伝道旅行の時に誕生した、いくつか教会を訪問して、信者たちを力づける。

それが、この旅行の動機だったのです。

しかし、その旅の途上で、聖霊なる神様が、彼らを導いて、初めは思ってもいなかった、ギリシアにまで、足を伸ばすことになっていきました。

ですから、福音がヨーロッパに伝えられたのは、人間の計画によることではありませんでした。人間の思いを超えた、神様のご計画だったのです。

神様は、私たち人間の思いや計画を、遥かに超えた仕方で、福音を前進させ、救いのみ業を成し遂げてくださいます。

そのことは、私たち一人一人も、個人的に体験していることだと思います。

今、私たちは、当然のように、聖日毎に、教会に来て、礼拝を守っています。

しかし、振り返ってみますと、こんな私たちが、信仰を持つに至ったのは、自分の思いを超えた、神様の導きがあったと、思わざるを得ないのではないでしょうか。

私たちの中には、救われるに、相応しいものなど、何一つありません。そんな私たちが、救いに入れられたのです。

それは、私たちの思いを超えた、神様のご計画による、と思わざるを得ません。

この導きは、まだ洗礼を受けておられない方々にも、或いは、今朝初めて、礼拝に出席された方々にも、与えられているのです。

こんな私たちが、礼拝に招かれて、聖なる御前に、ぬかずいている。既に、そこに、人間の思いを超えた、神様の導きがあるのです。

パウロの第二回伝道旅行は、そのような神様の不思議な導きを、体験していく歩みでした。

シリアのアンティオキアから、シラスと共に、第二回伝道旅行に出発したパウロは、リストラの町で、テモテという若い同労者を得て、更に西に向かっで進みました。

そして、ピシディア州のアンティオキアの近くまで来ました。ここまでは、第一回伝道旅行の時に、訪れた町々です。

ここから、更に西に進むと、そこにはコロサイ、ラオデイキアなどの町々、そして、その先には、アジア州の州都エフェソがあります。

当時エフェソは、商業、港湾都市として、非常に繁栄していて、アジア州最大の都市でした。

この町が、パウロを、引き付けなかった筈はありません。

6節に、「アジア州で御言葉を語る」、と書かれていますが、それは具体的には、その中心都市である、エフェソで御言葉を語る、ということであったと思われます。

パウロは、先ずエフェソに行って、伝道をしようと、考えていたのです。

ところが、不思議なことに、エフェソへの道は、閉ざされてしまいました。

6節には、「さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った」、とあります。

「アジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられた」ということは、具体的に、どのようなことであったのかは分かりません。

一行の内の誰かが、祈りの中で、聖霊の示しを受けて、エフェソに行くべきではない、と語ったのかもしれません。或いは、彼らが共に祈っているときに、次に行くべき所は、アジア州ではない、という思いが、心の内に与えられたのかもしれません。

或いは、そうではなくて、パウロが病気になってしまったために、計画を変更せざるを得なかったのだろうと、推測する人もいます。

いずれにしても、エフェソへ行く道は、塞がれてしまったのです。しかし、そのことを、後から振り返った時に、あれは聖霊が禁じておられたのだ、ということに気づかされたのです。

具体的な理由は分かりませんが、パウロたちは、計画の変更を、余儀なくされました。

そこで彼らは、西にではなく、北へと進みました、そして、フリギア・ガラテヤ地方を通って、小アジアの北西部まで到達しました。

ここから、更に北に進むと、ビティニア州に入ります。ビティニア州は、古くからギリシア文化が栄えていた地方でした。特に、ニカイアの町は、様々な分野の学者たちが活躍していて、古代ギリシア文化の中心地の一つでした。

恐らく、パウロにとっては、伝道のしがいのある場所であったと思われます。

ですから、パウロは、このビティニア州に、向かおうとしたのです。

ところが、またしても、道が閉ざされてしまいました。

7節には、「ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった」、とあります。

ここでも、具体的に、どういうことが起こったのかは、分かりません。

しかし、やはり、何らかの事情で、ビティニア州に、入ることができなかったのです。

この時、一行の前に、道は二手に分れていました。北へ行けばビティニア、西へ行けば、エーゲ海沿岸の港町、トロアスに出ます。

パウロたちは、再度予定を変更して、進路を西に変えました。聖霊の導きに従って、トロアスを目指して、進んで行ったのです。

1998年の、宮中における、歌会始めの題は「道」でした。その時、美智子皇后は、次のような歌を詠まれています。

「かの時に 我がとらざりし 分去れの 片への道は いづこいきけむ」

あの時に、私が選ばなかった、分かれ道の片方は、どこへ通じていたことでしょう。

美智子皇后が、ご自身の、来し方を振り返られて、そのお気持ちを詠まれた歌です。

パウロたちも、ずっと後になって、同じような気持ちに、導かれたのではないかと思います。

あの時、パウロたちの目の前には、ビティニアに行く道と、トロアスに行く道の、二つの道がありました。そのどちらかの道を、選ばなくてはいけなかったのです。

当初の計画では、ビティニアに行こうとしていました。しかし、その道は、閉ざされているように見えます。では、この道は、御心ではないのだろうか。

パウロたちは、聖霊の導きを求めて、ひたすらに祈りました。そして、その祈りの中で、トロアスへ行くようにと、示されたのです。

そして、その結果、キリスト教は、ヨーロッパへと伝えられていきました。

もし、あの時、自分の思いに固執して、ビティニアに行く道を、強引に選んでいたなら、福音宣教の業は、そして教会は、果たしてどうなっていただろうか。

パウロたちは、後になって、ヨーロッパ各地に誕生した教会の姿を見ながら、そのような思いに、導かれたのではないかと思います。

「かの時に 我がとらざりし 分去れの 片への道は いづこいきけむ」

この歌を、パウロたちに、当てはめてみるなら、「かの時に 導かれざる 分去れの 片への道は いづこいきけむ」、となるのではないでしょうか。

あの分かれ道で、導かれなかった方の、片方の道は、一体どこへ通じていたことだろうか。

パウロは、後から振り返った時、聖霊の導きの深さに、畏れを覚えたと思います。

また、その恵みの豊かさに、大きな感動を、覚えたことだろうと思います。

ですからパウロは、第一コリント1章25節において、「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」、と言っているのです。

自分の伝道計画が、思ったように進まず、二度までも変更させられた。神様は、私に、伝道の使命を与えて下さったのに、どうしてそれを、妨げるようなことをなさるのか。

パウロは、そのように、嘆いたかもしれません。しかし、彼は、示されたのです。

自分の思い通りには、行かなかった。でも、それでよかったのだ。

神様のご計画の方が、ずっと確かなのだ。パウロは、そのことを教えられていったのです。

私たちも、人生において、自分の思いや計画が、その通りに行かないことを、体験します。

思いがけないことが、色々と起って、せっかくこうしようと思っていたことを、変更せざるを得なくなることがあります。

御心と信じて始めたことでも、妨げられて、できなくなってしまうことがあるのです。

そういう時、私たちは、悩み・苦しみます。そして、「神様、なぜなのですか。なぜこのようなことをなさるのですか」、と神様を恨みたくなることがあります。

しかし、やがて、私たちは、教えられるのです。「神の愚かさは人よりも賢い」ということを。

そして、「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する」。この箴言19章21節の御言葉が、真実であることを、教えられるのです。

こうして、パウロとその一行は、トロアスの港にたどり着きました。トロアスの港からは、二つの船旅の可能性がありました。

一つは、マケドニア州のネアポリスに行く航路です。そして、もう一つは、アカイア州のアテネに行く航路でした。ここでも、行く先は、二つに分かれていたのです。

アテネがギリシアの中心地で、文化的水準の高い町であったことは言うまでもありません。

では、マケドニアの方は、どうだったのでしょうか。あのアレクサンドロス大王の時代に、マケドニアは、大帝国の中心でした。しかし、大王の死後、マケドニアは急速に衰退しました。

ローマとの三度にわたる戦争で敗北し、国土は荒廃し、人々は貧しさの中にあったのです。

パウロはどちらを選んだでしょうか。哲学の都アテネか、戦争で疲弊したマケドニアか。

エーゲ海の波の音を、耳にしながら、パウロは一人静かに、祈っていたと思います。

そして、その祈りの中で、パウロは幻を見たのです。

一人のマケドニア人が、彼の前に立って、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」、とパウロに願ったのです。

神様が、パウロに示されたのは、荒廃していて、貧しいマケドニアの地でした。

パウロたちは、この幻は、神様の御心を示している、と捉えました。

ですから、10節にこう書いてあります。「パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである。」

注意して読みますと、ここで主語が、「わたしたち」となっています。

これは、使徒言行録の著者のルカが、ここで一行に加わったことを、示しているのだと思います。そこで、9節にある、「一人のマケドニア人」というのは、ルカのことではないか、と推測する人もいます。しかし、確かなことは分かりません。

でも、もし、このマケドニア人が、ルカのことであったなら、パウロは、トロアスでルカと出会い、ルカはその後、パウロの伝道旅行に同行したことになります。

そうしますと、この後に語られている伝道の記事は、ルカが直接目撃し、体験したことを、記していることになります。

そう考えると、読んでいても、臨場感に溢れて、心が躍る思いがします。

神様が、パウロたちを、遣わされたのは、マケドニアでした。

アジア州第一の都市のエフェソでもなく、学問の町のニカイアでもなく、そして文化の都アテネでもなかったのです。

苦しむマケドニア人の叫びを、パウロたちは、神様からの召しとして、受け止めたのでした。

パウロは、目の前に横たわる、対岸のギリシアの島々を見ながら、マケドニアに思いを馳せました。そして、やっとここで、二度も聖霊に禁じられた意味が、はっきりと分かったのです。

これまでの歩みにおいて、自分の計画したことが前に進まず、変更に変更を、重ねなければならなかった。そのことの意味を、パウロは、確かに悟ったのです。

神様は、私の思いや計画とは、別のことをさせようとしておられるのだ。そして、そこへと導くために、私の歩みを、妨げるようなことをなさったのだ。

そのことを知った時に、パウロは、自分の歩みのすべてが、聖霊によって導かれていることを、改めて確認することができたのです。

自分の計画が再三にわたって、妨げられたことの、まことの意味。また、それを為された、神様の御心。今まで分からなかった、それらのことが、確かに分かったのです。

準備して、せっかく立てた計画が、思いがけないことによって、妨げられてしまう。

私たちも、そのような苦しみや、挫折を味わうことがあります。

しかし、そのような時に、やけを起したり、絶望したりせずに、自分の計画とは違う道を受け入れて、祈りつつその道を歩み続けるのです。その時に、私たちは、思いがけない神様の御心に気づかされます。

この時、パウロたちは、福音をヨーロッパに伝えることが、神様のご計画なのだと示されました。そして、そのご計画を進めるために、神様は、パウロたちの計画を、再三にわたって、変更させられた、ということを、信じたのです。

人間には不可解と見える事柄にも、神様には明確な理由が、必ずあるのです。

ご存じのように、教会はキリストの体です。そして、私たち一人一人は、その体の部分です。

そして、この体全体の意思を決定するのは、頭であるキリストです。ですから、教会としての意思決定は、常に、頭であるキリストの御心に従って、なされなければなりません。

でも、それだけでなく、キリストの体の一部分である、私たち自身の意思決定も、頭であるキリストの御旨に従って、なされなくてはならないのです。

そうであるなら、私たちは、自分の思いを、互いに主張し合うのではなくて、すべてに働いて益としてくださる、主の御心を謙虚に尋ね求めつつ、共に歩んでいきたいと思います。

主よ、私たちは、次の一歩を、どちらの方向へ歩み出せばよろしいのですか。

主よ、どうか私たちに、向かうべき方向を、示してください。

この祈りを献げつつ、教会として、また一人の信仰者として、新たな一歩を、歩み出していきたいと思います。