「御心ならば また来ます」
2019年03月31日 聖書:使徒言行録 18:12~23
ある日本人の宣教師が、開放政策が取られてから間もない中国に、伝道に行きました。
まだキリスト教の布教は、厳しく制限されていました。ですから、名目上は、日本語の教師として中国に入り、大学で日本語を教えながら、秘かに伝道をしました。
正面切って、聖書を教えることはできませんでした。そこで、その宣教師は、教材として、三浦綾子さんの小説、『塩狩峠』を用いて、日本語の授業を行いました。
聖書そのものを、教えた訳ではありませんでしたが、この本を通して、キリストを信じる生徒が起こされ、秘かに教室で洗礼を授けました。
しかし、その事が当局に知られて、その宣教師は、中国から追放されてしまうことになります。この『塩狩峠』という本は、それ程大きな影響を、その生徒に及ぼしたのです。
『塩狩峠』の主人公のモデルは、長野政雄さんという実在の人物です。
長野さんは、自分の命を犠牲にして、汽車の暴走を止めたクリスチャンです。
映画にもなったこの小説は、多くの人に、深い感銘を与えて来ました。
しかし、主人公の長野さんは、あまりにも立派なので、私たちは、感動する一方で、自分と比較した時に、自分に落胆してしまう、ということがあるかも知れません。
同じクリスチャンでありながら、どうしてこれほど違うのだろうか、と思ってしまうのです。
しかし、神様は、私たち一人一人に、その人でなければできない務めを、用意されています。神様が、期待される働きは、様々です。一人一人違っているのです。
ですから、長野政雄さんのような、劇的な生き方をするクリスチャンもいれば、私の様に、平凡な生き方をする、クリスチャンがいても良いのです。比較する必要はありません。
大切なことは、一人一人が、自分に与えられた賜物に応じて、精一杯、神様の栄光を現していくことです。それぞれが、それぞれの仕方で、主に従っていくのです。
使徒パウロは、偉大な働きをした、伝道者でした。しかし、パウロは、偉大な伝道者になりたくて、それを目指して、必死に頑張った訳ではありません。
彼は、神様の御心を謙虚に尋ねつつ、示された御心に、従順に従っただけなのです。
使徒言行録には、神様の御心に従順に従う、パウロの姿が、活き活きと描かれています。
さて、今朝の御言葉をもって、パウロの第二回伝道旅行は終ります。
この伝道旅行は、パウロにとって、思いがけないことの連続でした。パウロの、当初の思いや計画が、ことごとく閉ざされて、思ってもみなかった方向に、導かれた旅行でした。
出発からして、波乱含みでした。恩人であり、また盟友でもあったバルナバと、誰を同行させるかの問題で、意見が分かれて、二人は別々の道を、進むことになってしまったのです。
しかし、その結果、パウロは、シラスという優れた同行者と、生涯に亘っての愛弟子となる、テモテを得ることができたのです。
旅の道筋においても、パウロは、当初、アジア州の中心であるエフェソを目指しました。
でも、その道が、ことごとく塞がれてしまい、思ってもみなかった、ギリシアでの伝道に、導かれていったのです。
福音宣教の意欲に燃えて、「よし、あの町に行って伝道しよう」と思った。けれども、何故か、その道が閉ざされてしまう。
「なぜだろうか」と落胆しつつも、気を取り直して、「よし、それでは別の町へ」と、向かおうとした。でも、それも、主によって、禁じられてしまう。
アジア州の中心地、エフェソでの伝道の道は、なかなか開かれなかったのです。
「主よ、なぜですか。なぜ、エフェソへと、導いてくださらないのですか。どうか、あなたの御心を示してください」、と祈っていたとき、パウロは、祈りの中で、示されたのです。
「パウロよ、あなたの行くべきところは、今は、エフェソではない。マケドニアなのだ。」
マケドニアに渡る。そんなことは、考えてもいませんでした。しかし、パウロは、主の導きに、従順に従って、直ぐに海を渡って、マケドニアに向かったのです。
マケドニア伝道は、当初の計画には、全くなかったものです。
でも、そのことを示された時、パウロは、直ちに従いました。自分の思いや計画に、固執することなく、従順に従ったのです。
そして、フィリピ、テサロニケ、ベレアの町で、伝道しました。自分の力に依らず、主に委ね、主に任せて、ひたすらに御言葉を宣べ伝えました。
そして神様は、行く先々で、思いがけない恵みを用意して、パウロを助けてくださいました。
初めて訪れた町なのに、キリストを信じて、バプテスマを受ける人たちが起こされました。
更に、拠点となる家と、信仰者の群れと、その群れを守る指導者も、与えられたのです。
しかし、どの町でも、「さあ、いよいよこれから」、というときに、激しい迫害が起きて、パウロは、生まれたばかりの教会を、信徒に託して、その町を去らなければなりませんでした。
「主よ、なぜですか。なぜ、もう少し、この町にいさせてくださらないのですか」、とパウロは主に訴えたと思います。
しかし、その町を去って、次に町に行くと、そこでも、同じように、主を信じる人たちが起こされ、信じる者たちの群れが生まれていったのです。
パウロは、それらの事を経験するたびに、主のご計画の尊さを、思わされたと思います。
「そうか、これが、主の御心だったのか」。思ってもいなかった、伝道の実。それは、主によって、既に計画されていたのだ。
パウロは、導かれるままに、あの町、この町へと、歩んで行く中で、次々に、主の御心を、示されていったのです。
今朝の御言葉の21節に、「神の御心ならば、また戻って来ます」、とあります。
これは、パウロが、エフェソで語った言葉です。パウロは、コリントでの伝道を終えて、願っていたエフェソに、漸く辿り着きました。
でも、この時は、念願のエフェソには、ほんの僅かな時間しか、滞在しませんでした。
あれほど望んでいたエフェソの町に、漸く着いたのです。それなのに、僅かな滞在で、そこを去って行きました。ここでも、迫害に遭ったからでしょうか。
そうではありません、エフェソの人々は、「もうしばらく滞在するように願った」、と書かれています。それにもかかわらず、パウロは、去って行ったのです。なぜでしょうか。
やはり、ここでも、主の導きがあったからです。
「パウロよ、今回は、エフェソには、長く留まらなくても良い。エフェソでの伝道は、別の機会を与える。だから、今は、エルサレムに上って、伝道旅行の報告をしなさい」。
パウロは、そのように示されたのです。ですから、「神の御心ならば、また戻って来ます」、と言って、そこを去って、エルサレムに向かったのです。
「神の御心ならば、また戻って来ます」。この御言葉は、私にとって忘れられない言葉です。
私は、茅ヶ崎同盟教会の信徒であった時に、神様からの強い招きを受けて、仕事を辞めて、神学校に入り、牧師になる決心をしました。
私を、信仰のリバイバルへと導いてくれた、島隆三先生が校長をしている、東京聖書学校という神学校に、入るようにと導かれました。東京聖書学校は、日本キリスト教団の認可神学校です。ですから、そこを卒業したら、日本キリスト教団の教会に、仕えることになります。
茅ヶ崎同盟教会は別の教団ですから、教会を去らなければなりません。
東京聖書学校は、教団の認可神学校の中でも、指導の厳しいことで、有名な神学校です。
今は、殆どの神学校で、聖日派遣先の教会は、神学生が自分で選べるようになっています。
しかし東京聖書学校は、学生の希望を一切認めません。学校が決めた教会に行くのです。
私は、できるだけ自宅から近い教会を、願っていましたが、派遣先は西川口教会でした。
週日は、自宅から2時間半かけて神学校に通い、日曜日には、2時間かけて、西川口教会に通いました。
卒業して、伝道師として遣わされた教会は、横浜の清水ヶ丘教会でした。
3年経って、牧師となった時、許されるなら、愛する湘南地区に戻りたいと願いました。
しかし、清水ヶ丘教会から、残って欲しいと言われて、更に3年間仕えました。
湘南地区での伝道の道は、なかなか開かれませんでした。でも祈り続けていました。
「主よ、御心ならば、愛する湘南地区に戻してください」、と祈り続けていました。
ですから、坐間先生から、茅ヶ崎恵泉教会へのお話があった時は、本当に驚きました。
神様が、願いを聞いてくださったのだと、喜びました。
しかし、それが、自分の勝手な、思い込みであってはいけないと、自らを戒め、主の御心であることを、信じさせて頂くために、100日間の祈祷をいたしました。
100日祈祷を通して、主の御心を確信して、茅ヶ崎恵泉教会に、来させて頂きました。
「主の御心であるならば、愛する茅ケ崎に戻してくだい」。
この私の祈りは、茅ケ崎を去って、10年後に、主によって、実現させられました。
パウロは、「神の御心ならば、また戻って来ます」と言って、エフェソを去りました、
しかし、その後、それ程の時を経ずに、エフェソに戻り、約3年間そこに留まり、腰を落ち着けて、伝道することができました。
このことでも、パウロは、神様のご計画の、素晴らしさに、思いを馳せたと思います。
「神様の御心なら」、とパウロは言いました。しかし、神様の御心とは、なかなか分からないものです。
「神様の御心なら」ということは、「神様が望まれているなら」、「神様が欲しておられるなら」、ということです。自分が望んでいること、自分が欲していることではありません。
自分の思いや願いを、神様の御心だと、安易に捉えることは、私たちが犯し易い過ちです。
それは避けなくてはなりません。自分の思いではなく、また自分の欲することではなく、神様が望まれていることを、どこまでも尋ね求めていくのです。
その時に、御言葉を通して、或いは祈りを通して、御心が示されるのです。
神様の御心がどこにあるのか。それは、意外に、分からないものなのです。
分からないから、パウロも、あちこちさまよって、漸くマケドニアに辿り着いたのです。
私たちは、謙虚な思いで、そして先入観を持たずに、「主よ、御心を示してください」、と祈りつつ歩むのです。御心を、尋ね求めて祈り、最善をなしてくださる主を信頼し、主に委ねて歩んでいく時に、その歩みの中で、御心は示されていくのです。
今回、会堂建築に当たって、私たちは、御心に適った施工業者が、与えられますように、と祈り続けました。水曜日の祈祷会でも、繰り返して、そのことを祈りました。
そして、株式会社新栄という、建築会社が示され、25日に工事請負契約書に調印しました。
その調印の時、新栄さんの会長である熊久保さんと、初めてお会いしました。
新栄さんが、大塚平安教会や湘南ライフタウン教会の建築を担当され、熊久保さんが、クリスチャンであることは、聞いていました。しかし、どのような方かは、全く知りませんでした。
調印後に、熊久保さんが言われました。「私たちは、今までに20件くらいの教会建築に携わってきましたが、教会建築は、一般の建築とは違います。
一般の建築の場合は、上手く建てれば、それで良いのです。でも、教会の場合は、信徒の皆様の、祈りと願いが込められています。
ですから、教会員の皆様の、祈りと願いに応えることが、最も大切になります。そういう意味で、教会建築の場合は、一般の建築にはない、緊張感をもって臨んでいます。」
何と、私たちの方から、お願いしたいと思っていたことを、逆に、施工業者さんの方から、言って頂いたのです。私は激しい感動を覚えました。
また熊久保さんは、二宮の山西教会の、長年に亘る教会員ですが、山西教会の会堂建築も、新栄さんが担当したそうです。
その時、熊久保さんは、教会においては、会堂建築委員長を務めたそうです。
会堂建築委員長としては、少しでも安くして貰いたい。しかし、請け負った建築会社の経営者としては、儲けは無くても良いが、赤字の工事は避けたい。その葛藤に苦しんだそうです。熊久保さんの息子さんは、かもい聖書教会の牧師をしておられますが、その教会の建築も新栄さんが、請け負われました。その時も、同じような悩みがあったそうです。
その話を聞いて、「御心に適った施工業者を」、という祈りが、応えられたと確信しました。
会堂建築を通して、私たちは、思いがけない恵みを、繰り返して経験させられています。
そして、その度に、神様の御心を、知らされてきました。
初めは、何も分からずに、ただ主を信頼して、主に委ねて、祈りつつ、手探りで歩んでいました。しかし、思ってもみなかった恵みに出会う度に、手探りで進めてきた一つ一つのことが、主の御心であったことを、知らされてきました。
設計士の三村さんとの出会いも、新栄さんとの出会いも、初めは分かりませんでした。
しかし、熱心なクリスチャンである、このお二人との出会いも、神様の御心だったのだと、示されていったのです。
私たちが、主を信頼して、主に委ねて、祈りつつ歩んでいく時に、主は、御心を示してくださいます。その時は、分からなくても、後になって、そのことを知らせてくださるのです。
ところで、今朝の御言葉の前半には、コリントにおける、ある騒動が語られています。
ユダヤ人たちが、地方総督のガリオンに、パウロを告発した出来事です。
告発の理由。それは、「この男は、律法に違反するような仕方で、神をあがめるようにと、人々を唆しています」、ということでした。
パウロが語っている教えは、ローマの公認宗教であるユダヤ教とは、異なっている。
だから、非公認宗教として、ローマ法によって、禁止すべきである、と訴え出たのです。
しかし、パウロが弁明しようとするよりも早く、ガリオンはこの訴えを却下してしまいました。
この訴えは、ユダヤ教内部の、用語や解釈の問題だから、ユダヤ人自身で解決すべき事柄で、わざわざローマ法を適用する必要はない、と言い放ったのです。
つまり、政教分離の原則に則った、判断を下したのです。この時、ガリオンの下した判断は、まことに賢明で、正しいものでした。
このようにして、パウロは、ユダヤ人たちから、守られました。
しかし、その後に起った、17節の出来事については、様々な解釈があります。
会堂長のソステネという人が、群衆に殴られた、という出来事です。
このソステネとは、どういう人なのか、彼はなぜ殴られたのか、彼を殴った群衆とは、どのような人たちなのか。それらが、はっきりしないのです。
この時、ソステネが、既にキリスト者になっていたため、ユダヤ人たちが裏切り者のソステネに、リンチを加えたのだ、と考える人もいます。
しかし、別の読み方もできます。実は、この「群衆は」という言葉は、ある写本では「ギリシア人たちは」となっています。
そうすると、ギリシア人たちが、会堂長ソステネを殴った、となります。
コリントのギリシア人クリスチャンたちが、ガリオンの判決に意を強くして、会堂長ソステネを殴った、ということになります。
更に、注目すべきことは、ここに出てくるソステネという名前が、コリントの信徒への手紙一の1章1節に、パウロと共同の、手紙の発信人として、出てくることです。
そこにはこう書かれています。「神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、コリントにある神の教会へ」。
この御言葉から、ある人は、このように想像しています。
ガリオンが、ユダヤ人たちの訴えを、門前払いにしたことに、意を強くしたキリスト者たちが、会堂長ソステネを殴った。
しかし、パウロはそれを見て、「そんなことをしてはいけない。主イエスは、この人のためにも、十字架にかかられたのだ」と言って、ソステネを助けた。
自分を訴えようとした敵をも、そのように助けるパウロの姿に、ソステネは感動して、キリスト者となって、パウロと共に伝道する者となった。
これは、あくまでも想像です。でも、とても心惹かれる読み方だと思います。
もし、この想像が、事実であるなら、ここにも、私たちの思いもつかない、神様の導きがあります。神様の恵みの御心が、示されています。
そして、ソステネは、その導きに、その御心に、どれ程、感謝したことでしょうか。
神様が愛の御心をもって、私たちを導いてくださる。私たちに、御心を示してくださり、それを成し遂げてくださる。これにまさる感謝と喜びはありません。
私たちは、その主に信頼し、委ねて、御心がなりますようにと、祈りつつ歩んでまいりたいと思います。