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柏牧師:過去の礼拝説教

「権力者の恐れ」

2021年06月20日 聖書:マタイによる福音書 14:1~12

今週の週報の右下に、林竹治郎画伯の「朝の祈り」の絵を紹介させて頂きました。
丸い粗末なちゃぶ台を囲んで、母と子どもたちが祈っている感銘深い名画です。
ちゃぶ台の上には、聖書が一冊置かれています。しかし、よく見ると、母の前に、小さな茶碗とスプーンが描かれています。ちゃぶ台の上にあるのはそれだけです。
茶碗とスプーンが置かれていますので、朝ごはんの前かもしれません。
熱心なキリスト者であった林竹治郎画伯の家では、毎朝、このような家庭礼拝の後に、朝ご飯を頂いたのでしょう。
清貧に甘んじた林画伯の家の食卓は、つつましやかなものであったと思います。
しかし、家庭礼拝で心満たされた後に囲む食卓は、たとえ豪華な御馳走はなくても、安らぎと喜びに満ちた、幸せな食事あったと思います。
どのような食卓を囲んで育ったか。それは、私たちの人格や生き方を決定付けます。
私たちは、礼拝において、ご一緒にマタイによる福音書を読み進んでいますが、今朝から14章に入ります。
この14章には、二つの食事の場面が出てきます。
一つは、ガリラヤの領主、ヘロデ・アンティパスの誕生日を祝う盛大な宴会。
もう一つは、来週ご一緒に聴くことになる、主イエスが五千人の人に用意された、「パンの奇蹟」と言われている食事です。
余興として、バプテスマのヨハネを殺した、ヘロデの狂気の宴会と、五つのパンと二匹の魚で、多くの人々の空腹を満たした、主イエスによる野外の祝福の食事。
この二つの食事には、絶妙なコントラストがあります。
一方は、ローマの属国とは言え、王あるいは領主と呼ばれる人の誕生日の祝宴です。
誕生日を祝うこと。それ自体は、決して悪いことではありません。むしろ素晴らしいことです。
自分は、神様のご計画の許に、生命を授けられ、これまで守られ、生かされてきた。
そのことを大切にし、素直に喜び、感謝する。それは、信仰者として相応しいことです。
私は、教会員の皆様に、誕生日カードを出させて頂き、その感謝と喜びを共にすることを、大切にしています。その誕生日カードに、しばしば、このように書かせて頂いています。
「今日からあなたの、何年目の年の歩みが始まりますね。どうか、今まで守って下さった主が、この年も、いつもあなたと共にいて下さり、あなたを瞳のように守って下さいますように」。
誕生日に、今まで賜った主の恵みを想い起し、主に感謝し、喜ぶことは大切なことです。
そうであるなら、誕生日の祝いの中心は、生命を与えて下さり、ここまで守って下さった神様である筈です。誕生日パーティーの実質的な主人公は、自分ではなく、神様であるべきなのです。
しかし、ヘロデは、自分が、誕生日の宴会の主人公になっていました。
そして、その宴会が、盛大に行われ、自分の権威が高められることを、大いに喜んだのです。
立派な宮殿に、たくさんの御馳走が並べられていました。
そして、その祝いの余興に、預言者の首を刎ねるという、狂気の行為が行われたのです。
しかし、そこに招かれている人の誰一人として、この狂気の行為を止めさせる勇気を持っていませんでした。
「王様、お誕生日おめでとうございます」という、こびへつらいの言葉は進んで述べました。
でも、「王様、預言者の首を刎ねることは間違っています」とは、誰も言わなかったのです。
それに続く、13節からの物語は、食べ物の用意もなかった、大勢の群集のために、主イエスが整えてくださった、野外での食卓です。粗末なパンと魚だけのささやかな食事です。
それは本当にささやかですが、限りなく豊かな食卓です。私たちをまことに活かす食卓です。
神様ま不在の豪華な食卓と、神様を中心としたささやかな食卓。この二つの食卓のどちらに、まことの幸せがあるでしょうか。
私たちは、この二つの食卓を思い浮かべ、果たして、自分はどちらの食卓を喜び、どちらの食卓に着きたいと思っているでしょうか。そのことを、常に問い続けていきたいと思います。
さて、この14章を読んでいますと、私たちは、うっかりすると間違えることがあります。
それは、ヨハネが殺された出来事にすぐ続いて、主イエスがパンと魚を五千人に与えた奇蹟をなされた、と考えてしまうということです。
しかし、この箇所をよく読むと分かりますが、実際には、ヨハネは、かなり前に殺されていたのです。ですから、この時ヘロデは、邪魔者を始末して、安心していたのです。
そこに主イエスが登場して、力ある業を行い、権威ある御言葉を語られました。
そして、その主イエスの評判が、ガリラヤ中に広まって、やがてヘロデの耳にも届きました。
それを聞いたヘロデは、「そのイエスという男は、自分が殺した、あのヨハネが生き返ったのだ」、と思ったのです。
自分が殺したヨハネの、生まれ変わりのように思えるイエスは、ヘロデにとっては、邪魔者であり、また恐るべき存在でもあったのです。
主イエスは、そのようなヘロデの思いを聞かれて、人里離れた所に退かれた、と13節に書かれています。ですから、13節以下の御言葉は、2節の御言葉からの続きなのです。
その間に、ヘロデによるヨハネ殺害という、過去の出来事の記事が、挟まれているのです。
今朝の御言葉に出てくる、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスは、主イエスがお生まれになった時、ユダヤを治めていた、あのヘロデ大王の息子です。
彼は、ナバテヤの王アレタ4世の娘と結婚していました。
しかし、自分の異母兄弟である、ヘロデ・フィリポの妻ヘロディヤの妖艶な容姿に魅せられて、何としてもこの女性を自分の妻としたいと望みました。
そこで、アレタ4世の娘と強引に離婚して、ヘロディヤを奪い取って、結婚してしまいます。
この行為によって、ヘロデは二つの律法を犯したことになります。
第一に、正当な理由無しに妻を離縁したこと。第二に、兄弟が未だ生きているというのに、義理の姉妹と結婚したこと。この二つです。
誰もが、この不法行為を知っていました。しかし、ヘロデを恐れて、誰一人として、表だって批判する者はいませんでした。
そんな中で、何者をも恐れない、神の預言者であるバプテスマのヨハネは、ヘロデの行為を律法違反として、大胆に、そして厳しく追及しました。
それは、まさに自分の死刑執行状に、自ら署名したようなものでした。
ヨハネは、捕らえられ、牢に入れられました。
ヘロデはヨハネに恨みを抱き、彼を殺したいと思いつつ、それができないでいました。
それは、一つには、ヨハネを預言者として慕っている、民衆を恐れたからでした。
もう一つの理由。それは9節に、「王は心を痛めたが」、と書いてあるように、ヘロデは、正しい聖なる人であるヨハネを殺すのに、ささやかな良心の痛みを感じていたからです。
マルコによる福音書には、ヘロデは、ヨハネのことを、邪魔者として憎みつつも、他方では、その教えを喜んで聞いていた、と書かれています。
つまりヘロデは、ヨハネを憎む気持ちと、神の人として敬う気持ちの間で、揺れ動いていたのです。
そんなヘロデに対し、ヘロディヤの方は、もっと陰険で冷酷です。
ヘロディヤは、ヨハネが自分たちの罪を厳しく糾弾したことを、深く恨んでいました。
そのヨハネが、生きているということ自体が邪魔でした。
より正確に言えば、彼が語っている、「神の言葉」が、邪魔だったのです。
あの神の声を消さなければならない。そうでないと落ち着かない。
神の声を消すために、預言者を殺してしまいたい。なのに、なぜ夫はためらっているのか。
ヘロディヤは、夫の優柔不断な態度に、腹を立てていたのです。
ところが、そのヨハネを殺す、思いがけないチャンスが訪れました。
ヘロデの誕生日の祝いの宴席で、ヘロディヤの娘、サロメが踊りを披露しました。
ヘロデは、それを大変喜んで、願う物は何でもやろうと、約束してしまったのです。
お気づきになった方もおられるかもしれませんが、実は「サロメ」という娘の名は、聖書の中には全く出てきません。
しかし、他の歴史書などから、ヘロディヤの娘の名はサロメであると分かっていますので、私たちは、恰もその名が聖書に出ているかのように思っています。
このサロメと言う名前は、ヘブライ語の「シャローム」という言葉そのものなのです。
シャロームという言葉は、平和を意味する言葉で、今でもユダヤの人々が、日常の挨拶に、この言葉を使っています。ですから、サロメとは、「平和の子」とでも言うべき名前なのです。
しかし、実際のサロメは、「平和の子」とは、およそかけ離れた、恐ろしい娘でした。
ヘロデに、「褒美は何でもやる」と言われて、サロメは母に相談し、母の言葉に従って、バプテスマのヨハネの首を、盆に載せて持って来て欲しいと求めました。
そして、恐ろしいことに、その首が、運ばれてきたら、まずそれを自分で受け取り、母のところに持って行ったのです。この場面を想像すると、おぞましさに身が震える思いがします。
こうして、ヘロデは、ヘロディヤに唆されて、自分のささやかな良心を、押し殺すかのように、ヨハネを殺してしまいました。神の言葉を、殺したのです。
このようにして、神の言葉は、一旦は、殺されたかのように見えました。
しかし、皆さん、それで終わりではなかったのです。人間は、神の言葉を殺せないのです。
神の言葉は、尚も、生きているのです。
毎年6月下旬になると、私のようなホーリネスの群に属している者は、この時期、厳粛な思いに覆われます。
なぜかと言いますと、1942年6月26日に、ホーリネス系の牧師134名が、治安維持法違反の容疑で一斉検挙され、内7名が殉教したという、悲しい事実を想い起すからです。
殉教した牧師の一人、横浜教会の菅野鋭牧師は、特高の刑事から、「それでは聞くが、天皇も罪人なのか」、と尋問されました。
菅野牧師は静かに答えました。「ご質問ですからお答えしますが、天皇が人間である限り、罪人であることを免れません。」
これは、先ほどのヨハネと同じく、自分の死刑執行状に、自ら署名したようなものでした。
その獄中にあったホーリネスの牧師たちが、何度も口にして、自らを励ましたのが、テモテへの手紙二2章9節の御言葉でした。
同じように獄中にあったパウロが、愛する弟子のテモテに送った言葉です。
「しかし、神の言葉はつながれていません。」
どんなに預言者を殺そうとも、何度牧師を殺そうとも、人間は、神の言葉を殺せないのです。
預言者も牧師も、社会的には弱い存在です。権力者の前では無力です。
でも、信仰者は、このように言うことができる筈です。
「あなた方権力者は、私たちの、肉体を殺すことはできるでしょう。しかし、私たちが語り、私たち生かしている、神の言葉は、決して繋がれることもないし、殺されることもないのです。」
パウロは、獄中にあっても、「神の言葉は繋がれていません」、と書くことができました。
それと同じことが、今朝の御言葉にも、記されているのです。
神の言葉は、王や権力者たちの、妨害や弾圧にも優って、もっと、したたかなのです。
私たちを生かす神様は、もっと、したたかなお方なのです。御言葉はそう語っているのです。
ヘロデは、ヨハネが、正しい人、神の言葉を語る人である、ということを知っていました。
でも、そのヨハネを,ためらいながらも、自らの手で殺してしまいました。
ですから、主イエスが、登場なさった時に、人々が、主イエスは、ヨハネの再来であると、語っているのを聞いて、へロデは非常に恐れたのです。
殺したと思っていた、神の言葉が、また響きだしている。
自分が首を刎ねた、あのヨハネが、生き返ったに違いない。ヘロデは、そう思ったのです。
人間は、神の言葉を殺すことはできません。殺したと思っても、神の言葉は、尚も生き続けるのです。御言葉はそのことを教えているのです。
では、神の言葉を殺したのは、ヘロデだけだったでしょうか。
神の言葉そのものである主イエスご自身も、ユダヤの宗教指導者や、彼らに扇動された人々によって殺されました。この点でも、ヨハネは、主イエスの先駆者でした。
主イエスから、女の産んだ者の中でもっとも偉大な者だ、と言われたバプテスマのヨハネ。
そのヨハネは、宴会の余興として、首を刎ねられて、この世の生涯を終えました。
何とも、惨めであっけない死に方です。大預言者エリヤのように、火の車に乗って、天に凱旋するといったような、華々しい、劇的な最期を遂げた訳ではありません。
そして、主イエスの死も、世間的に見れば、惨めであっけない死でした。
寝る間も惜しまれて人々に仕えられ、病を癒され、弱い者に寄り添い続けたにもかかわらず、人々に理解されず、見捨てられ、弟子たちにさえ裏切られて、主は殺されてしまいました。
誰にも理解されず、完全に見捨てられ、十字架につけられてしまったのです。
ヨハネと同じように、惨めであっけない死に方でした。どこにも輝かしいところはありません。
でも、この死を、神様は用いて下さいました。この死によって、私たちは救われたのです。
本来、私たちが苦しまなければならない、惨めな、暗い死を、主イエスが、代わって死んでくださったからです。
ですから、私たちは、そのような惨めな、暗い死を、死ななくても良い者とされたのです。
そして、主イエスは、復活して下さいました。神の言葉は、殺されてはいなかったのです。
この十字架と復活によって、私たちは、永遠の命の希望に生きることが許されています。
皆さん、神の言葉は殺されることはありません。
主イエスの惨めであっけない死こそが、私たちを生かす、まことの恵みなのです。
この大いなる恵みに心から感謝しつつ、共に歩んでいきたいと思います。