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柏牧師:過去の礼拝説教

「あなたはどのような香りを放っているか」

2023年05月07日 聖書:コリントの信徒への手紙二 2:12~17

皆さんは、何か大きな心配事があって、ずっとそのことが気にしなって仕方がなかった、という経験をお持ちでしょうか。
先月、私の家内は、高齢者の自動車免許更新に必要な、認知症テストを受けました。
心配性な家内は、随分前から、過去の問題集を購入して、周到に準備しました。
それでも、テストが近くなると、もう大変です。
「落ちたらどうしよう。あなたの時はどんな問題が出たの」と、何度も聞かれました。
私が、「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」と言っても、「あなたは受かったから、そんな呑気なことをいっているのよ。もっと心配してください」、と言われてしまいました。
大きな心配事があると、そのことが気になって、他のことが手につかなくなる。
誰もが、そういうことを、経験されたことがあると思います。
今朝の御言葉のパウロも、大きな心配事によって、心が塞がれていました。
一体どのような心配事だったのでしょうか。
ご一緒に御言葉に聴いていきたいと思います。
この時、パウロは、トロアスという町にいました。
このトロアスという町は、パウロにとって、大変思い出深い町です。
第二次伝道旅行に出かけた時、パウロは、当時のアジア州、今のトルコに当たる地域で、開拓伝道をしようとましした。
ところが、どういう訳か、それがうまく行かなかったのです。
最初は西の方に伝道しようとしたのですが、聖霊によってその道が塞がれてしまいました。
それではと、今度は、北の方に行こうとしましたが、それも聖霊によって禁じられてしまったのです。 
それで、仕方なく行き着いたところがトロアスでした。
そのトロアスでの伝道も、はかばかしくなかったようです。
アジア州での伝道に行き詰まっていた時に、パウロに一つの幻が与えられました。
その幻の中で、一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州に渡って来て、私たちを助けてください」、とパウロに願ったのです。
そこで、パウロは、海を渡ってギリシアのマケドニア州に行き、フィリピやテサロニケの教会をたてました。
そして更に、アカイア州に足を延ばして、コリントの教会をたてたのです。
つまり、トロアスで見た幻によって、コリントの教会は生まれたのです。
ですからトロアスは、パウロにとっても、そしてコリントの教会にとっても大切な場所でした。
その後、トロアスには、伝道の実が実り、教会が生まれました。
今朝の御言葉には、「キリストの福音を伝えるためにトロアスに行った」と書かれています。
ですからパウロは、以前のように仕方なく行ったのではなくて、この時は、はっきりとトロアスで伝道することを目的として、この町を訪れたのです。
12節には、「主によってわたしのために門が開かれていた」、と書かれています。
以前は、伝道が一向に進まなかったトロアスの町でしたが、今回は、福音が前進しようとしているのです。 伝道の門が、大きく開かれようとしているのです。
こういう時、いつものパウロなら、嬉々として伝道に励むところです。
でも、この時のパウロは、少し違っていました。
パウロの心に、大きな不安があったのです。
そのため、伝道の門が、大きく開かれていたにもかかわらず、不安の心を抱いたまま、トロアスの教会に別れを告げて、マケドニア州に向かって、旅立って行ったのです。
一体パウロに何があったのでしょうか。何がそれ程、パウロを不安にしていたのでしょうか。
13節に、「兄弟テトスに会えなかったので」とあります。これが不安の原因であったのです。
この言葉の背景には、コリントの教会とパウロとの、悲しい現実がありました。
パウロが、順調だったトロアスでの伝道を、途中で切り上げてでも、解決したかったこと。
それは、コリントの教会との、関係の修復でした。
コリントの教会は、パウロが命懸けで、たて上げた教会です。
そのコリントの教会と、パウロの関係が悪化し、心が通じ合わなくなっていたのです。
どうして、そんなことになってしまったのでしょうか。
それは、パウロが去った後、パウロのことをよく思わない宣教師たちが、次々にコリントの教会にやってきて、パウロについてよからぬことを、言いふらしたからです。
それどころか、パウロが宣べ伝えた福音に、異質なものを付け加えようとさえとしました。
そのため、コリントの教会は混乱し、教会員の信仰は激しく揺さぶられました。
パウロは、そのことに、深い心の痛みを覚えたのです。
そして何とか教会との関係を改善し、教会員を正しい信仰に導こうと度々手紙を出しました。
今朝の御言葉の少し前の2章4節で、パウロはこう言っています。
「私は、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。あなた方を悲しませるためではなく、私があなた方に対して、溢れるほど抱いている愛を知ってもらうためでした。」
「涙ながらに手紙を書きました」と書かれていることから、この手紙は、「涙の手紙」と呼ばれています。 
実際にパウロは、多くの涙を流しつつ、その手紙を書いたのだと思います。
教会員のことを心配し、涙を流しながら手紙を書く。 
皆さん、これが、牧師の姿です。
もし愛する教会員と、心が通じ合わないなら、そのことを何よりも深く悲しみ、涙を流す。それが牧師なのです。
たった一人の教会員と、心が通じないだけでも、牧師は多くの涙を流します。
それほど、一人一人を大切に思い、心から愛しているのです。
まして、この時のパウロのように、多くの教会員から誤解され、心を通い合わせることができなくなっていたなら、その悲しみは、どれほど深かったでしょうか。
牧師は、教会員一人一人のために、悩み、苦しみ、涙を流します。
なぜそこまで悩み、苦しむのでしょうか。
会社などの一般社会であれば、たった一人のために立ち止まることはせずに、早々に結論を出して、先に進むでしょう。
一人の人のために、いつまでも悩んでいては、「不効率だ」と言って、叱られてしまいます。
でも牧師は、敢えて、その不効率な姿勢を取るのです。何故なのでしょうか。
一人も失いたくないからです。一人も傷つけたくないからです。
教会とは、そういう不効率を、敢えて受け容れ、苦しみ悩む共同体なのです。
そうあるべきなのです。
なぜなら、教会の頭である主イエスが、そういうお方だからです。
小さな者を一人も見捨てることなく、どこまでも寄り添い、救おうとされるお方。
そういうお方が教会の頭であり、教会は、そのお方の御心に従って、歩んでいるからです。
ですから牧師も、そして教会も、そういう不効率を、敢えて引き受け、苦しみ悩むのです。
もし教会の常識が、社会の常識とかけ離れている、と言うのであれば、それは、この違いによるのです。
一人の人のために、効率を敢えて無視する。それが教会なのです。
でも主イエスが、そして教会が、その不効率に徹してくれたので、私たちは達は救われたのです。
パウロが書いた涙の手紙には、かなり激しい言葉も書かれていました。
しかしそれは、教会員を悲しませるためではなく、パウロの愛を知って貰うためでした。
そういう自分の気持ちを正しく伝えて、教会との関係を修復するために、パウロは、弟子のテトスをコリントに派遣して、和解の務めを託しました。
しかし、テトスからの報告が、なかなか届かないのです。
コリントへの往復や、コリントでの滞在の日数を考慮すれば、もう帰って来る筈なのです。でも、テトスは帰ってきません。
パウロは気が気ではなく、不安は募るばかりでした。
こういう時は、往々にして、悪い方悪い方へと、心が向いてしまいます。 
コリントの教会の状況が、あまりにも悪いので、帰って来られないのだろうか。
色々と考えているうちに、パウロの不安は、ますます募っていきました。
とうとうパウロは、居ても立ってもいられなくなって、せっかく開かれていた、トロアスでの伝道を途中で切り上げて、一時も早くテトスに会うために、マケドニアへと向かいました。
皆さん、これが牧師なのです。
牧師にとって、最大の関心事は、自分の立場とか、自分の生活ということではありません。
自分の家族を守る、ということですらないのです。
何よりも、教会が守られているか。教会が主の御心に適った群れとなっているか。
教会が正しい福音に立っているか。そのことなのです。
まず、そのことが心配なのです。
牧師はいつも、教会のことを第一に考えています。
東日本大震災の時、福島原発から一番近い教会である、福島第一聖書バプテスト教会の佐藤彰牧師は、自分自身や家族の身を守ることさえ大変な時に、それを二の次にして、教会員を助けるために、全てを献げて、懸命の働きをされました。
60名の信徒を引率して、行く先も定まらない流浪の逃避行を、2年間も続けたのです。
「この時のために、私は牧師として召されたのだ」という思いで、教会員に仕えたそうです。
戦時中に、弾圧にあって投獄された、ホーリネスの牧師たちもそうでした。
拘置所に面会に来た家族に、先ず教会員の安否を尋ねたそうです。
自分や家族のことよりも、教会員のことを案じて、教会員のために、必死に祈ったのです。
さて、マケドニアに渡ったパウロは、そこで、帰ってきたテトスに会うことができました。
そして、テトスから嬉しい知らせを受け取りました。
パウロの祈りが応えられて、コリントの教会の人たちが悔い改め、教会の状態が非常に良くなっている、と聞いたのです。
パウロが、その知らせを聞いて、どんなに慰められ、喜んだか、想像に難くありません。
今までの不安や心配が、一気に晴れて、明るい光の中に、招き入れられた思いであったと思います。
そのパウロの喜びが、爆発しているのが、14節です。
ここでパウロは、突然のように、「神に感謝します」と、叫ぶように書いています。
感謝の思いを爆発させているのです。
そして、キリストの勝利を高々と歌い上げています。
パウロは、コリントの人たちが悔い改めたことを、キリストの勝利である、と捉えています。
自分の勝利ではない。自分の力や努力による勝利ではない。
キリストが勝利され、その勝利の行列に自分を加えて下さったのだ、と捉えているのです。
ここでパウロは、ローマ軍の凱旋パレードを、イメージしています。
パウロは、その勝利の行列の先頭に立って、堂々と行進する凱旋将軍のような、キリストの姿を仰ぎ見ています。
ではパウロは、その行列のどこにいるのでしょうか。また私たちは、その行列の中で、どこを歩いているのでしょうか。
パウロも、私たちも、キリストの直ぐ後に続く、将校の中にはいないのです。
それどころか、その後に続く、兵士たちの中にもいません。
では、どこにいるのでしょうか。
パウロも、私たちも、一番後で、鎖に繋がれて引かれている、捕虜の中にいるのです。
キリストの勝利の行進とありますが、一体キリストは、誰に対して勝利されたのでしょうか。
キリストが勝利した相手。キリストが滅ぼした者。それは、一体誰なのでしょうか。
それはパウロ自身なのです。そして私たちです。
パウロも私たちも、キリストの捕虜として、勝利の行進に加わっているのです。
私たちは、キリストに打ち負かされた者なのです。キリストに打ち負かされ、捕らえられた者なのです。
その捕らえられた姿を、さらけ出すことによって、キリストの勝利を示すことができる。キリストの偉大さを示すことができる。
もしそうであれば、こんなに嬉しいことはない。
かつて教会を迫害した自分が、キリストに打ち負かされ、捕らえられてしまった。
惨めな敗北者の姿です。普通であれば、そんな姿を、人に見せたくありません。
でも、パウロは、心から、それを喜んでいるのです。
キリストに打ち負かされて、捕らえられて、引き立てられていく自分。
自由を奪われて、キリストが行かれる所に、ただ黙々として従っていくだけの自分。
でも、その自分が嬉しいのです。
どうか、この自分を見て欲しい。この自分を見て、キリストの偉大さを知って欲しい。これが、パウロの伝道でした。
キリストの愛に打ち負かされて、到底このお方にはかなわないと思い知らされて、キリストの勝利の行進の一番後ろに、捕虜として歩んで行く。
そういう人間の幸いを宣べ伝える。それが、パウロの伝道でした。
「クリスチャン」という言葉は、ギリシア語の「クリスティアノス」という言葉の英語訳です。
「クリスティアノス」という言葉は、「キリストに属する者」という意味です。 
もっと端的に言えば、「キリストの奴隷」、と訳しても良い言葉です。
元々この言葉は、キリスト教に反対する人たちが、信徒を軽蔑して呼んだ「あだ名」でした。
あいつらは、何かと言うと、「キリスト、キリスト」と言っている。まるで、キリストの奴隷だ。
そう言って、信徒を馬鹿にしたのです。
でも、初代教会の信徒たちは、その呼び名を喜んだのです。
そうなのです。私たちは、キリストの奴隷なのです。キリストの虜とされて、行列に加わっているのです。そう言って自分を示したのです。
そうであれば、私たちクリスチャンは、その存在をもって、キリストの勝利を、指し示さなければならないと思います。
皆さん、私たちが見せることができるのは、私たちの手足を縛っている、キリストの恵みなのです。
キリストの恵みに、がんじがらめにされて、自分勝手に動くことができなくなっている者。それがクリスチャンなのです。
クリスチャンという英語は、キリストChristの後にianと書きます。
ある人が、このianは、I am nothing の頭文字を表している、と言っています。
Christ comes first, I am nothing。キリストがすべて、私は何ものでもない。
そのことを表している、というのです。 
勿論これは、単なる語呂合わせです。しかし、深く教えられる語呂合わせではないでしょうか。
キリストに打ち負かされ、キリストに捕らえられて歩んでいる者。
そういう者が、キリストを知らせる香りになる、とパウロは言っています。
当時、ローマの凱旋将軍の行進には、一つの行事がありました。
将軍が、多くの捕虜を連れて凱旋してくる時、鼓笛隊の前に、よい香りを放つ花や、ハーブのような草を、振りまく者がいたのです。
花やハーブが蒔かれて、辺り一面によい香りが漂う。その中を将軍が堂々と凱旋してくる。
その後に続く兵士や捕虜も、その香りの中を行進するのです。
パウロは、その光景を想い起こしながら、私たちキリスト者とは、キリストの香りを放つ者なのだ、と言っているのです。
そのことを歌った詩があります。 河野進という牧師が書いた、「香り」という詩です。
「香り」        河野進
『みどりごには 母乳の香り/学者には ほんの香り/医師には 薬の香り/
百姓には 土の香り/漁師には 海の香り/大工には 木の香り/
画家には 絵の具の香り/信徒には キリストの香りがただようように。』
パウロは、捕虜になっている自分が、良い香りだ、と言っています。
良い香りは、人を引き付けます。 残念ながら、私たちには、人を引き付けるような、人間的な魅力も、高潔な人格も、高い見識もありません。
しかし、そんな私たちでも、キリストに打ち負かされたなら、良い香りになるというのです。
捕虜として、キリストの勝利の行進に加えられているなら、私たちも良い香りになるのです。
私は、あのお方の愛に負けました。全面降伏しました。
そう言いながら、それを喜んでいるなら、私たちも良い香りになるのです。
自分を明け渡して、全面降伏した時には、もはや自分の香りは、消え去っている筈です。
そして、自分を打ち負かしたお方の香りが、漂っている筈です。
皆さん、私たちは、どうしても自分を誇りたがります。自分の香りを放とうとします。
「自分が、自分が」と言って、自分を大きくしようとします。すると何が起きるでしょうか。
皆さん、自分の「自」という字の下に、大きいという字を繋げて見て下さい。
すると、「臭い」という字になります。 「自分が、自分が」と言って、自分を少しでも大きく見せようとする人には、嫌な臭みが漂います。
では、自分ではなくて、主イエスを大きくした時には、どのような香りとなるでしょうか。
主イエスは「神の小羊」と呼ばれました。主イエスは、犠牲の羊に譬えられています。
その犠牲の羊を、大きくした時には、どうなるでしょうか。
羊の下に大きいと書くと、「美しい」という字になります。
自分ではなく、主イエスを大きくしようとする時、私たちは、美しい香りを放つ者とされます。
美しい、良い香りを放つ者とされるのです。
皆さん、私たちは、キリストの良い香りを放つ者となるように、と教えられています。
しかし、自分を少しでも大きくしようと、あくせくしている時、私たちは、キリストの良い香りどころか、嫌な臭みを漂わせる者になってしまいます。
そのような、嫌な臭みを放つ者ではなく、小羊なるキリストを大きくし、キリストの美しい香り、キリストの良い香りを放つ者でありたいと願います。 
この香りは、命から命に至らせる、良い香りです。
でも私たちは、自分たちの力で、良い香りを放つことはできません。
元々、私たちは、良い香りなどではないのです。
でも、そんな私たちが、キリストに打ち負かされ、キリストに結ばれて生きていく時に、神様が良い香りとして用いて下さるのです。
そこに、私たちの幸いがあります。そこに、私たちの喜びがあります。
この幸いの中を、この喜びの中を、良い香りを放ちながら、共に歩ませて頂きましょう。