「神を頼り、神に希望をかけて」
2023年04月02日 聖書:コリントの信徒への手紙二 1:8~11
「信仰生活」。教会で良く耳にする言葉です。
私たちも、ごく普通にこの言葉を使います。
でも皆さん、ちょっと立ち止まって考えてみて下さい。
信仰生活とは、一体どのような生活なのでしょうか。
世間で言う「日常生活」とは、どのように違うのでしょうか。
こんな時、日常生活ではこう行動する。けれども、信仰生活では別の行動をとる。
このように、日常生活とは別の所に、信仰生活があるのでしょうか。
そうではないと思います。信仰生活とは、日常生活から切り離された、別の生き方ではない筈です。
信仰生活とは、すべてをご存知の神様の目に、ありのままの自分を、さらけ出していく生き方である筈です。
皆さん、私たちは、社会や学校や家庭における自分と、教会における自分とを、使い分けている、ということはないでしょうか。
例えば、会社で部下が、「風邪をひいたので休みます」、と連絡をしてきたとします。
その時、「この忙しい時にしょうがないなあ。でも、バカは風邪をひかないというから、まあ、あいつもバカではないということか」、なんて笑ってすましてしまう。
ところが教会で、ある兄弟あるいは姉妹が、風邪をひいて礼拝に来ることが出来ないと聞くと、「早く癒されるようにお祈りしましょうね」、と呼び掛ける。
このように、日常生活と信仰生活の間にギャップがある。そういうことはないでしょうか。
もし、そういうことがあるとするなら、それは滑稽なことではないでしょうか。
なぜなら、神様は、私たちの心の内を、すべてご存知だからです。
私たちが、自分の信仰の弱さや愛の欠けを、いくら取り繕っても、神様は私たちの本当の姿を、すべて分かっておられるのです。
皆さん、信仰生活とは、自分の信仰の弱さや愛の欠けを、必死に覆い隠して、取り繕って生きる生き方ではありません。
そんな肩肘張った、堅苦しい生き方ではありません。
そうではなくて、私たちの内にある、どうしようもない弱さや欠け。
それらをさらけ出して、そこでこそ示される神様の恵みを、体験していく生活である筈です。
自分でも嫌になるような、私たち弱さや欠け。でも、そこで働かれる神様の恵み。
それを体験し、それを感謝し、それを喜んでいく。それが信仰生活なのではないでしょうか。
そして、そのようにして示された神様の恵みを、分かち合う場。それが教会なのです。
苦しみや悩みを覆い隠して、何事もないかのように平安を装う。それが、信仰生活なのではありません。
苦しみや悩みを、信仰の友と共有するのです。
苦しみや悩みを通して与えられた、神様の恵みや慰めを、お互いに分かち合うのです。
そうですか。あなたも、苦しみの中で神様の慰めを頂いたのですね。私もそうなのです。お互いに本当に良かったですね、と喜び合う。
教会とは、そういう者たちの群れなのです。
ですから、パウロは、今朝の御言葉の8節で、こう言っています。
「アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい」。
パウロは、自分の信仰の戦いの苦しさを、ぜひ知って欲しい、と言っています。
「あなた方は知らないかもしれないけれども、あなた方のために、私はこんなに苦労したのだよ」と、恩着せがましく言っているのではありません。
そうではなくて、その苦難を通して与えられた慰めを、分かち合おうとしているのです。
今朝の御言葉の少し前の1章4節を見て下さい。そこで、パウロはこう言っています。
「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。」
パウロの宣教活動は、本当に苦難の連続でした。ありとあらゆる苦難を経験しました。
でも、そのパウロが言っているのです。
どんな苦難の中でも、神様は必ず慰めて下さった。
苦しみが大き過ぎて、神様にも打つ手がない。そんなことは、ただの一度もなかった。
いくら何でも、ここまでは、神様の慰めは届かないだろう。そんなことも、一度もなかった。
どんな苦難であっても、その苦難の一つ一つに相応しい、あらゆる慰めを、豊かに用意してくださった。
私たちの神様とは、そういうお方なのだ。パウロはそう言っているのです。
パウロが苦しむ時、それより更に深い、主イエスの十字架の苦しみが、心に迫って来る。
そして、その十字架から滴り落ちる慰めが、心に満ち溢れてくるのです。
その慰めを、あなた方も、ぜひ知って欲しい、ぜひ味わって欲しい。そう言っているのです。
使徒言行録を見ますと、パウロは、伝道に行った地の至る所で、必ずと言って良いほど、命の危険に晒されています。
どこにおいても、死ぬほどの苦難を味わってきました。
今は、パウロの時代とは、事情が大きく異なっていますので、私たちが、パウロが経験したような、厳しい苦難に会うことはないと思います。
しかし、今日でも、御言葉に忠実に従って行こうとすれば、様々な苦難に会います。
この世にあって、キリスト者としての生き方を、正直に貫こうとしていくなら、その信仰生活は、ただ平安である、という訳にはいかないと思います。
なぜなら、この世は、全体として、神様の御心とは、反対の方向に向かっているからです。
神様中心ではなく、自己中心的な生き方に支配されているからです。
そういう中で、神様の御心に、忠実に従って生きていこうとすれば、必ず苦しみ、悩みます。
職場に何らかの不正がある。ても、上司の指示なので、皆が見て見ぬふりをしている。
そういう時に、それは良くないことだ、とはっきりと言って、その不正を正そうとする。
そういうことをすれば、必ず反発を招きます。組織における自分の立場が悪くなります。
だから、自分も、見て見ぬふりをする。その方が楽なのです。
実社会にあっては、主イエスの弟子として生きることなど、忘れてしまう方が楽なのです。
教会にいる時だけ、信仰者らしく振舞っていれば良い。そういうことなら楽です。
でも、そこから一歩踏み出して、どんな時も、どこにいても、自分は主イエスの弟子なのだ、主イエスの僕なのだ、という生き方を貫こうとしたら、今の世でも苦しみは避けられません。
パウロは、「わたしたちが被った苦難を知って欲しい」と言っています。
なぜ、知って欲しいのでしょうか。
その苦しみを通して、人間の力の空しさを知り、ただ神様に依り頼むようになるからです。
パウロは、「耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまった」、と語っています。
ここにある「耐えられないほど」という言葉は、「能力の限界を超えて」という意味の言葉です。
生きていく能力の限界を超えた苦しみ。死の宣告を受けたような苦しみ。
そんな苦しみの中では、自分の力はもう頼りになりません。何の役にも立ちません。
生きていられないような苦しみ。いっそ死んだ方がましだ、と思うような苦しみ。
その苦しみの只中で、パウロは、自分の人間としての力が、どんなにもろくて、どんなに頼みにならないかを知ったのです。
では、そのような苦難の中で、パウロが得た慰めとは、一体何だったのでしょうか。
それは、苦難を通して、何かを学んだとか、苦難によって鍛えられて、強くされた、というようなことではありませんでした。
神様は、どんな時も、決して私を見捨てず、必ず私と共にいて下さった、ということ。これが、パウロが、苦難を通して得た、慰めであったのです。
皆さん、まことの慰めとは、どんな時にも、神様は、決して私たちを見捨てず、必ず共にいて下さるということを、知ることなのです。
どんな時も、神様は、必ず私たちと共にいて下さいます。これは真実です。
これこそが、私たちの本当の慰めです。これこそが、私たちの本当の喜びなのです。
神様のみに依り頼み、神様のみに希望を置き、いつも神様と共に生きる人生。
それは、たとえ他人の目には不遇に見えようとも、喜びに満ちた人生なのです。
戦後間もないころ、一人の青年が、神学校を卒業して直ぐに、大阪の日雇い労務者の住むドヤ街で、全くのゼロから開拓伝道を始めました。
清水ヶ丘教会の主任牧師をしておられる、中島聡先生のお父様の中島誠という先生です。
真夏でも、襟巻き、手袋、靴下を履いて寝なければ、南京虫の総攻撃を受けるような部屋に寝泊りし、伝道されました。
結婚された新居も、ドヤ街の簡易宿泊所で、部屋にはドアも襖もないような生活でした。
そんな中、お二人は「いずくまでもゆかん、愛する主のあとを」という愛唱聖歌を歌いながら、励まし合い、苦しみも喜びも分かち合いながら、ひたすらに伝道されました。
やがて、少しずつ信徒が与えられ、40歳を過ぎた頃、小さな会堂を建てるに至りました。
「さぁ、いよいよこれから」という時に、先生は病に倒れ、天に召されてしまわれました。
43歳の若さでした。召される時、先生は最後に、何と言われたでしょうか。
「主よ、なぜ、これからという時に召されるのですか」、と恨みの言葉を残されたでしょうか。
そうではありません。先生は、奥様の手を取られて、微笑みながら一言、「楽しかったね」と言われて、息を引き取られたのです。
一体何が楽しかったのでしょうか。人間的に見たら、何の楽しみもないような人生でした。苦労に苦労を重ねるような人生でした。
しかし、先生はご奥様の手を取られて、「楽しかったね」と言われて、天に帰られたのです。一体、何が楽しかったのでしょうか。
主が共にいて下さったことが楽しかったのです。共にいて下さった主が、嬉しかったのです。
神様は、本当に真実な方です。苦難の中に、必ず、慰めを用意していて下さいます。
皆さん、教会の奉仕も、いつも楽しいとは限りませんよね。
時には、辛いと思う時があるでしょう。 苦しいと思う時もあるかもしれません。
特に、役員としてご奉仕される方には、ご苦労が多いと思います。
この務めは、私には重過ぎる。思わず、そうつぶやいてしまう時もあるかもしれません。
この奉仕には、自分より相応しい人がいる筈だ。そう思われることもあるかもしれません。
でも、神様のために働かれるのですから、必要な力は、必ず神様が与えて下さいます。
そして、神様がいつも共にいて下さり、支えて下さる恵みに、必ず満たされます。
主の慈しみの眼差しの中で、主と共に歩む喜びを、感謝しつつ奉仕することが出来ます。
奉仕を通して、信仰は成長し、変えられていきます。いえ、神様が変えて下さいます。
そして、最後には、「楽しかったね」と、お互いに喜び合うことができます。
ですから、もし今、ためらっている方がおられるなら、どうか神様と相談してみて下さい。
神様は、皆さんの祈りによる相談を、心待ちにしておられます。
さて9節でパウロは、「わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした」、と言っています。
死の宣告を受けた者。そんな人に、一体どんな慰めがあるのでしょうか。
まるで死刑囚のような思いのパウロにとっての慰め。
それは、死人をも甦らせてくださる、神様に依り頼み、神様に希望を置くことでした。
主イエスの十字架の恵みと、復活の希望。
これこそが、死をも克服する力を持つ、唯一の慰め、唯一の救いだったのです。
東京神学大学の夜間講座における私の学びの友に、田島恵三さんという方がおられました。
随分前ですが、その方が、「天国への凱旋門」という本を書かれました。
この本は、「死刑囚からの手紙」という副題が付いていることからも分かりますように、死刑囚の信仰を記録したものです。舞台は、60数年前の、九州の刑務所です。
その刑務所に、SさんとUさんという、2名の死刑囚がいました。二人は、服役中に信仰に導かれた人たちです。
この本は、その二人の死刑囚と、彼らを励まし、彼らを支えた、国際基督教大学の学生たちとの交流の記録です。
学生たちは、自分が出席した礼拝の説教を書き記したり、テープに録音したりして、囚人たちに送り続けました。
その学生たちの一人は、後に東京神学大学の学長を務められた松永希久夫先生でした。
松永先生ともう一人の学生は、わざわざ九州まで旅をして、刑務所を訪問し、死刑囚二人と面会しています。
その面会の時、Sさんは看守部屋の窓から外を指差して、こう言ったそうです。
「あそこにあるのが、死刑台のある建物です。入所した頃は、怖くてあの建物をちゃんと見られませんでした。しかし、キリストに救われてからは、どこからでも直視することができるようになりました。あれは、天国への凱旋門ですから」。
そして、松永先生が、「私たちに何かできることはありませんか」と尋ねると、もう一人のUさんはこう答えたそうです。
「決して助命運動などしないでくださいね。キリストに赦されているのですから、喜んで自分の犯した罪の責任を負いたいと思っています。私は、外に出られませんが、あなたたちはどこに行くのも自由なのですから、どうか伝道してください。」
その後、このUさんから来た葉書には、こう書かれてありました。
「神に背き、神を忘れ、御名を汚し、我がことのみを考え、罪人の頭である私であることを思います時、堪らない思いになります。しかし、十字架を仰いで赦されることに思いいたって、甦りの喜びを感じます。本当に、十字架、十字架なるかなであります」。
死刑宣告を受け、今日か、明日か、と死刑執行の時を待ちつつも、この二人の死刑囚は、主イエスの十字架による罪の赦しと、復活の希望に生かされていたのです。
パウロも同じでした。死の宣告を受けた思いの中で、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神様を頼りにしたのです。
ですからパウロはこう言っています。
「神は、これほど大きな死の危険から私たちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、私たちは神に希望をかけています」。
「私たちは神に希望をかけています。」 何という力強い、励ましに満ちた言葉でしょうか。
私たちの希望。それは死の恐れから救ってくださる神様だけなのだ、と言っているのです。
この後もパウロは、死の危険に晒され続けます。そして、最後は、本当に死刑の宣告を受けて、殉教します。
では、その時に、パウロは、「ああ、神様も最後には頼りにならなかったな」、と言って死んでいったでしょうか。そうではないと思います。
尚も、復活させてくださる、神様に希望をかけることができたと思います。
さて、このように、どこまでも神様に希望をかけたパウロは、同時にまた、教会の人たちの祈りによって、支えられている人でもありました。
パウロは、「あなたがたも祈りで援助してください」と、教会の人たちに依頼しています。
多くの人々の祈りによって、パウロの働きに恵みが与えられる。
そして、その与えられた恵みを見て、祈っていた多くの人々が、主に感謝する。
このような祈りと、恵みと、感謝の連鎖。それこそが教会に与えられた幸いです。
そして、それは、今日の教会でも見られることです。
例えば、求道中の方の救いのために、教会員は熱心に祈ります。
そして、その祈りが聞かれて、求道中の方が救われるという恵みに与る。
そうすると、祈っていた教会員は、そのことを心から感謝します。
今日でも、祈り、恵み、感謝、の連鎖は、教会の中で、常に見られます。
この連鎖がない教会は、活き活きとしていません。死んだような教会になっています。
しかし、この連鎖の幸いに生かされている教会は、活き活きとして、祝福に満ちています。
ある人が、「神様は、私たちの祈りを通して行動される」、と言っています。
私たちが、祈りの声を上げる。すると、その祈りを通して、神様は行動されるというのです。
そうであれば、私たちは、お互いのために、もっと心を込めて祈り合いたいと思います。
もっと、もっと、お互いのために、祈り合っていきたいと思います。
あの大使徒パウロでさえ、教会員の祈りを必要とし、祈りの援助を切に願っているのです。
そうであれば、私たちもお互いのために、そして、この教会を、神様から託されて、この群れを牧している越智先生のために、もっともっと祈っていこうではありませんか。
「あなたがたも祈りで援助してください」。
この言葉を、私たち一人一人に対して語られた言葉として聴いていきたいと思います。