「愛、寄り添う力」
2014年03月09日 聖書:イザヤ書 54:10
先週の水曜日、3月5日は、灰の水曜日でした。私たちは、この日からイースターまで、6回の日曜日を除く、40日間を、受難節、レントとして守ります。
この期間中、私たちは、主イエスの十字架の御苦しみを覚え、私たちの救いのために、神様ご自身が、どれほど大きな犠牲を払ってくださったかを想い起こし、痛みと悔い改めの心をもって、日々を過ごします。
3年前の2011年は、3月9日、今年の暦で言えば、今日が灰の水曜日でした。
そして、その灰の水曜日から二日後の、3月11日に、あの東日本大震災が起ったのです。
死者、行方不明者の合計1万9千人。それに、震災関連死とみなされる方1,400人を加えると、2万人を超える犠牲者を出した東日本大震災。あれから、三年が経とうとしています。
しかし、三年経っても、復興は思うように進んでいません。
今もなお、26万人もの人々が、夏は暑くて、冬は寒い、狭い仮設住宅で、先の見えない不安に怯えつつ、不自由な生活に、じっと耐えておられます。
住居が定まらないので、新しい生活へと踏み出す目途が立たずにいるのです。
家族や家や経済的な基盤。それらすべてを失い、仮設住宅で一人暮らしをされている高齢者の方々も多数おられます。
そういう方々の淋しさ、辛さは、私たちの想像を絶するものであると思います。
そして、さらに深刻なのが原発事故です。原発事故のために、13万5千人もの方々が、故郷に帰れず、未だに各地で仮住まいを余儀なくされています。
震災直後は、衝撃と混乱の中で、情報も錯綜していて、なかなか実態が掴めませんでした。しかし、日が経つにつれて、色々なことを改めて知らされています。
福島第一原発から一番近くにあった、その名も福島第一聖書バプテスト教会の佐藤彰牧師は、数十名の教会員と共に、雪が降りしきる中を、会津若松、米沢と逃避行を続け、遂に、奥多摩福音の家というキャンプ場で約一年間を過ごしました。
そのときの記録が何冊かの本になって出版され、私も読ませていただきましたが、最近、佐藤彰牧師の講演を、直に聞く機会を得ました。
その講演を聞いて、改めてショックを受けました。
報道では、避難された人たちには、直ちに、最低限の水と少量が支給されたかのように伝えられていましたが、実際は、3日間も飲まず食わずでいた人も多数おられたそうです。
そんな中で、他教会からの救援物資が、避難所にいち早く届きます。飢えと寒さでうずくまっている教会員に、先ず支給したいとの強い思いに駆られました。
しかし、同じように苦しんでいる教会の外の人たちを見捨ててよいのか。生きるためのぎりぎりの状況の中で、キリスト者としての生き方が問われ、本当に悩まれたそうです。
このような時、主イエスなら、どうなさるだろうか。そう自らに問い掛け、僅かな救援物資を、避難所の人たちと分け合ったと聞きました。
佐藤彰牧師と福島第一聖書バプテスト教会の教会員たちは、小学校唱歌の「ふるさと」を、集会の時によく歌うそうです。そして、その三節を歌うとき、皆が涙してしまうそうです。
「志を果たして、いつの日にか帰らん。山は青きふるさと、水は清きふるさと。」
いつ帰れるか分からない故郷を思うとき、涙なくしては歌うことができないのだそうです。
なぜ、このような悲しいことが起るのでしょうか。
この三年間、私たちは何度も、「なぜ」と問い掛けました。
東日本大震災のような不条理に対して、私たちは「なぜ」と問い掛けることしかできません。
何故、このようなことが起こるのか。
この問いに、人は答えを持っていません。ありきたりの答えはあるかも知れません。
例えば、「この苦しみはあなたを強くする試練です」。「あなたは多くを失いましたけれども、きっと何かを得られた筈です」。「今は分からなくても、そのうちにきっと分かります」。
これらの答えは、他人の苦しみについては言うことが出来ます。
しかし、自分が不条理の只中で、苦しんでいる時には、何の答えにもなりません。
「なぜ他の場所ではなくて、ここで起こったのか」。「なぜ他の誰かではなくて、この私が、すべてを失うような災害に遭わなければならなかったのか」。「なぜ、今、このようなことが起こったのか」。
不条理の只中にいる者が、「なぜ」と問う時、その「なぜ」に対する答えはありません。
しかし、もし私たちが、そのような不条理のただ中で、尚も生きることができるとするならば、その「なぜ」を共有する存在を持つ時ではないかと思います。
主イエスは、十字架にかけられたとき、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」、と叫ばれました。
主イエスは、神の独り子です。神の独り子である主イエスが、父なる神様から見捨てられたのです。見捨てられる筈がないお方が、見捨てられたのです。
しかも、主イエスご自身は、見捨てられるようなことは、何一つされておられません。
これこそ不条理の極みです。
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」、と主イエスが叫ばれる時、主イエスは不条理の只中におられます。
そして、同じような不条理に苦しむ者と共にいてくださいます。
十字架において「なぜですか」と叫ばれる主イエスは、共に苦しまれる神ご自身なのです。
不条理のただ中において、尚も慰めがあるとするなら、それは、このようなお方が共にいてくださり、寄り添っていてくださる、ということではないでしょうか。
しかし、そのように申し上げると、ただ寄り添うだけで、一体何の力になるのか。
寄り添うだけの救い主など無力だ。そんな救い主は必要ない。そのように仰る人がおられるかもしれません。
しかし、心理学者の小西 聖子(たかこ)さんは、ある本の中でこう言っています。
「ともにいることは、援助の最初の一歩であり、最後の砦である」。
共にいる、寄り添う、ということは支援の最初であり、また最後の砦だというのです。
最後の砦とは、すべての手段が役に立たなくなった時にも、寄り添うという手段が残されている。そして、これこそが最も大切な支援なのだ、ということではないかと思います。
では、その最後の砦である「寄り添う」とは、どういうことなのでしょうか。
クリスチャン医師の柏木哲夫先生は、その著書の中で、このように書いておられます。
『「励ます」と「寄り添う」とは、どう違うのか。励ますというのは外から動かす力だと思います。相手の方を励ますために、「がんばりましょう」と声をかけます。
それは、自分はあまり関与しなくてもいいことなのです。「がんばりましょう」と言ったら、あとはがんばるか、がんばらないかは、相手の方の問題になります。
励ましたから、自分の役割は終わったのです。
ところが「寄り添う」というのは、自分も参加することです。そばにそっと寄り添うというのは、そこから逃げ出さないで、空間を共にするという意味があります。共に担うのです。
ここから先はあなた一人でやってください、私の役割は終わりましたよ、という訳ではないのです』。
先週の週報の【牧師室より】というコラムに、あるハンセン病患者の老人の話を、書かせていただきました。こんな話でした。
憤りと失望がはびこるハンセン病の施設に、目立って落ち着いた顔つきをしている、一人の老人がいました。
この老人は、毎朝夜明けに、地面を這うようにして、隔離の囲いまで足を運んでいました。
彼は、囲いの向こうから、一人の年老いた、目の優しい婦人が、姿を見せるのを待っていたのです。彼女はひと言も言わず、ただ微笑みます。老人も微笑みを返します。
そして、数秒間微笑みを交わし合ってから、静かに戻って行くのです。
この婦人は、老人の妻でした。
老人は言います。「毎朝彼女に会うのが、私の生き甲斐、生きる理由です」。
この婦人は、何もしていません。ただ、毎朝、僅かな時間を、老人と共有し、老人の苦しみを共に担っているだけです。
しかし、そのことによって、老人は生きる希望と、生きる意味を与えられているのです。
「寄り添う」とは、こういうことを言うのではないでしょうか。
では、「支える」と「寄り添う」はどう違うのでしょうか。
柏木先生は、その違いについて、このように述べています。
『「支える」は、「下支え」という言葉があるように、下からという感じを受けます。
けれども、「寄り添う」には、横からのイメージがあります。下から寄り添うというイメージはありません。
また、「支える」には、支えなかったら落ちてしまう、支えなかったらこの人は沈んでしまう、という気持ちがあります。
しかし、「寄り添う」には、相手の方の力を信じる、という気持ちがこちら側にあります。
寄り添って横にいれば、相手の方が、自分の力を発揮して、生き続けられる。
それにそっと寄り添うだけでいい、ということではないでしょうか。
その人の自主性を信じて、寄り添うためには、寄り添う力が必要になります。
何の力もなしに、ただ横にいるのは、なかなかできないことです。寄り添って、横にいる力が、必要となってくるのです。』
柏木先生がここで言われている、「寄り添う力」とは、一体何なのでしょうか。
それこそが、「愛」に他ならないと思います。
しかも、それは単なる愛ではありません。何が起こっても揺らぐことのない愛です。
それが、どこまでも寄り添っていくための力です。
そのような、「愛、寄り添う力」の実例を、読んだことがあります。
犬養道子さんが書いた「人間の大地」というルポルタージュに書かれていた話です。
1979年に、インドシナ難民キャンプで、本当にあった出来事です。
『ほぼ7万人収容のカオイダン村の難民キャンプの、第一セクション内の病人テントの中に、一人の子がいた。
一人ぽっち。親は死んだのか、殺されたのか、はぐれたのか。兄弟姉妹はいたのか死んだのか。一言も口にせず、空をみつめたままの子。
衰弱し切った体は熱帯性悪病の病原菌にとっての絶好の獲物であったから、その子は病気をいくつも持っていた。
国際赤十字の医師団は、打てるだけの手を打ったのち、匙を投げた。
「衰弱して死んでゆくしか残っていない。可哀想に・・・」。
その子は薬も、流動食も、てんで受け付けなかったのである。
幼な心に、「これ以上生きて何になる」という、絶望を深く感じていたのだろう。
ピーターと呼ばれる、アメリカ人のボランティアの青年が、その子のテントで働いていた。
医者が匙を投げたその時から、このピーターが、その子を抱いて坐った。
特別の許可を得て、夜も抱きつづけた。
その子の頬を撫で、接吻し、耳もとで子守歌を歌い、二日二晩、ピーターは用に立つ間も惜しみ、全身を蚊に刺されても動かず、その子を抱きつづけた。
三日目に・・・・反応が出た。ピーターの眼をじっと見て、その子が笑った。
「自分を愛してくれる人がいた。自分をだいじに思ってくれる人がいた。自分は誰にとってもどうでも良い存在ではなかった・・・・」。
この意識と認識が、無表情の、石のごとくに閉ざされていた、その子の顔と心を開かせた。
ピーターは泣いた。よろこびと感謝のあまりに、泣きつつ、勇気づけられて、食べ物と薬をその子の口に持っていった。その子は食べた!
絶望が希望に取って代わられた時、その子は食べた。薬も飲んだ。
そして、その子は生きたのである。
回復が確実なものとなった朝、私はセクション主任と一緒に、その子を見に行った。
「愛は食に優る。愛は薬に優る」。主任は、その子を撫でつつ、深い声で言った。
「愛こそは最上の薬なのだ、食なのだ・・・・この人々の求めるものはそれなのだ・・・・。」
朝まだき、暑さはとうに四十度に達し、山のかなたからは銃声が聞こえ、土埃のもうもうと吹きまくっていたカオイダン村のあの時を、私は生涯忘れることがないだろう。』
この話の中で、ピーターは、何もしていません。ただ寄り添って、抱きしめているだけです。
犬養道子さんは、この話しの後で、更に続けて、こう言っています。
『「泣く者と共に泣き、喜ぶ者と共に喜ぶ」。そういう相手を人間は必要とする。
人間は泣く者と共に泣き、喜ぶ者と共に喜ぶ相手を必要としているのだ。
そして、その時、自他ともに生かされているのである。』
このような寄り添う力。このような愛は、本来人間には備えられていません。
そのような愛は、神様からしか出てきません。
今朝与えられた御言葉、イザヤ書54章10節は、その愛を語っています。
「山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず/わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと/あなたを憐れむ主は言われる」。
この御言葉の直前の53章には、あの有名な「苦難の僕の詩」が記されています。
そこには、人々に軽蔑され、見捨てられ、自らも顔を隠して歩く、憐れな「苦難の僕」の姿が描かれています。
漸くバビロン捕囚から解放されたにも拘らず、イスラエルの人々は、まだ苦しみの中でうめいていました。その時、イスラエルの人たちは示されたのです。
自分たちを救ってくれる人は、偉大な王や強い指導者ではなく、自分たちの痛みや、苦しみを知ってくれる、この苦難の僕のような人ではないだろうか。
この苦難の僕のような人こそが、最終的な救いを、もたらしてくれるのではないだろうか。
ご存知のように、この苦難の僕は、主イエスを指し示しています。
この僕のように、主イエスは、人々から、嘲られ、軽蔑され、見捨てられました。十字架の上でも全く無力で、「なぜですか」と叫びながら、苦しみの中で息を引き取られました。
しかし、その主イエスの受けた傷によって、私たちは癒されたのです。
53章に続く54章には、苦難の僕によって、贖われた者に与えられる、素晴らしい祝福が語られています。
その中でも、今朝の箇所である10節は、この54章全体の、結びのような言葉です。
ここには、苦難の僕による救いの約束が、どんな時にも変わらない、確かなものであり、いつまでも続く永遠のものである、と語られています。
ここにある「慈しみ」という言葉の、ヘブライ語の原語は、「ヘセド」という言葉で、旧約聖書において非常に大切な言葉です。
この言葉は、「愛」とも訳せますし、或いは「恵み」とも訳すことができます。
神様の慈しみ、神様の愛、神様の恵みは、どんな時にも変わらない、と御言葉は高らかに宣言しています。
たとえ山が移り、丘が揺らぐことがあっても、それは変わることがない、というのです。
これは、私たちに対する神様の宣言です。私たちに寄り添ってくださるのは、この神様です。
この神様は、また、十字架の上で、「なぜですか」と叫ばれた神様です。
私たちの痛み、苦しみを、とことんまで知り尽くしておられるお方です。
十字架の主イエスは、こう言われています。
「私は、あなたの悲しみを良く知っています。私自身が、もっと深い悲しみを味わったからです。だから、私のもとに来なさい。あなたの涙を拭ってあげよう。」
このお方が、どこまでも寄り添ってくださるのです。
そして、私たちのことを御手に握りしめ、「あなたは私のものだ。どんなことがあっても、私はあなたを見捨てない」、と仰ってくださっているのです。
これが、私たちの慰めです。不条理に苦しむ私たちの唯一の慰めです。
このようなお方を与えられていることを、私たちは心から感謝したいと思います。
私たちが、被災者の方々にできることは、僅かなことです。小さなことしかできません。
しかし、祈りにおいて被災者の方々を覚え、献げ物をし、自分に出来る小さなことを、大きな愛をもって、誠実になしていく。今も、そしてこれからも、忘れることなく、それを続けていく。
それが、私たちの寄り添い方であると思います。
十字架の主イエスから、寄り添う力の源である愛を、胸いっぱいに受けて、これからも、私たちに出来る仕方で、被災者の方々に、寄り添っていきたいと願わされます。
私たちを憐れむ主は言われます。
「山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず/わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはない」。