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時間とは

「時間とは」

2013年12月29日

今年も年末が近づいてきました。一年を振り返り、過ぎ去った時間の速さに驚かされます。時間に関して、今年流行った言葉がありました。「今でしょ!」という言葉です。予備校のカリスマ教師が語った言葉だそうです。先週のクリスマス礼拝において、池田充好兄がバプテスマを受けられました。奥様の美津代さん(藤沢教会の教会員)はご結婚以来何と41年間も、この時をひたすらに祈りつつ待ち望んでおられました。その祈りはなかなか適えられませんでした。しかし、神様は池田兄に救いのご計画をひそかに用意されておられ、先週の日曜日こそが「その時」であると定めておられたのです。神様が池田兄に「今ですよ」と仰って、背中を押してくださったのです。「時間」についてこんな言葉があります。「時間とは…待っている人には、遅すぎる/到来の不安におびえている人には、早すぎる/苦しんでいる人には、長すぎる/楽しんでいる人には、短すぎる/しかし、愛している人には、時間は存在していない」。主の限りない愛の中では、時間は存在していないのです。いつでも、どんな状況にあっても、主が定められたその時々が、お一人お一人にとって、まさに「今」なのです。

「幼な子を抱くとき」

2013年12月22日

原崎百子さんという牧師夫人は肺がんのため4人の子供を残して42歳で 亡くなりました。亡くなるまでの1月半の病床生活は愛と平安に満ちたもので、その手記「わが涙よ、わが歌となれ」は多くの人々に深い感銘を与えました。その本の中に一つの詩が記されています。「わたしが 共にいる 治らなくても よいではないか/わたしが 共にいる 長患いでも よいではないか/わたしが 共にいる 何も出来なくても よいではないか/わたしが 共にいる それで よいではないか/或る晩 キリストが そう言って下さった。」 優れた旧約聖書学者であった左近淑先生は、ある年のクリスマス説教の中で、この原崎百子さんの詩を引用し、こう語っておられます。「クリスマスは、そういう意味で真の充足の時であります。キリストが共にいますなら、もう何も思い残すことはない、と言いうる日であります。私たちが幼な子を腕に抱けるように、すでに今ここに、私たちのうちに来ておられる時であります。神が仕事をすっかり終えられた時であります」。クリスマスの恵みとは、「主が共にいてくださる」という恵みです。それさえあればもう何も無くてもよいという思いに導かれる。それほどの大きな恵みです。

「インマヌエル」

2013年12月15日

28年前に急性白血病で天に召されたゆたか君という当時7歳の少年は、白血球の輸血に対する拒絶反応の異常な高熱の中で、「ねぇ、イエス様はどうして人間になったの?」と問いかけました。大人たちから満足な答えを与えられないまま、それから3週間後にゆたか君は静かに天に帰りました。泣きながらゆたか君の病室を片付けていたお母さんは、枕の下から四つ折りの紙切れを見つけました。そこには小さな詩が記されていました。「ぼくののどが痛いとき  あの子ののども痛み/ぼくが夜目をさましてセキをするとき  あの子もいっしょにセキをする/ぼくがお母さんにしかられて泣くとき  あの子もいっしょに泣いている/夕日にうつるかげぼうしのように  あの子はいつもぼくといっしょだ」。痛みと不安と寂しさの中で、ゆたか君はあの質問の答えを見つけていたのです。この詩は白血病のため11歳でこの世を去ったマチルド・ロワというフランスの女の子が残した詩です。影法師のようにいつも一緒にいた「あの子」、ベツレヘムの幼な子は、どれほど病床でゆたか君やマチルドを慰め、力づけたことでしょう。インマヌエル、神が共にいてくださるとはどんなに大きな恵みでしょうか。

「ある農夫の愛」

2013年12月8日

「ある王子が農夫の娘を愛した。王子はその娘を王宮に迎えようとしたが、家族から引き離すことなど思うとしのびなく断念した。といって王子が変装してごまかすことも欲しなかった。勿論王子らしく彼女の崇敬と賛美をまともに受けることもできたはずだが王子はそれも望まなかった。だから王子は正真正銘の農夫となって、自ら農夫がなめる労苦に耐えながら、娘への愛を貫き、娘の愛をうけることとした(キルケゴール「断章」より)」。クリスマスの出来事を分かり易く伝える心温まる例話です。ヘブライ人への手紙2章17~18節はこのように語っています。「イエスは…すべての点で兄弟たちと同じようにならなければならなかったのです。事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがお出来になるのです」。全世界を支配されておられる神の独り子が、小さな、貧しい者として飼い葉桶にお生まれになった。それは、私たちと苦しみを共にすることによって、私たちへの愛を貫こうとされたことを表しています。神様は、価値のない私たちのために、独り子を価値なきものとし、低きにくだしてくださったのです。

「アドベントについて」

2013年12月1日

今日から「アドベント(待降節)」に入りました。教会がアドベントを守るようになったのは6世紀頃だと言われています。アドベントは、11月30日の「聖アンデレの聖名祝日」に最も近い日曜日から12月24日のクリスマス・イブまでの期間を指します。11月30日が月、火、水曜日の場合は最も近い日曜日としてその週の日曜日に遡ってスタートしますが、木、金、土曜日の場合は翌週の日曜日からのスタートになります。アドベントの期間中、教会では常緑樹の枝を輪型にまとめた「アドベント・クランツ」を作り、日曜日ごとにろうそくを1本ずつ立てて、灯を掲げていきます。ろうそくは、それぞれ「希望、平和、喜び、愛」を意味していると言われています。ろうそくの色は、教会暦の色に合わせて紫であるのが基本だそうですが、第三週の「喜びのろうそく」だけは白またはピンクのろうそくを用いる教会もあるそうです。今年も、第一の「希望のろうそく」が既に灯されました。これから聖日毎に、「平和のろうそく」、「喜びのろうそく」、そして「愛のろうそく」が灯されていきます。ろうそくの灯が増えていくように、私たちも主のご降誕を待ち望む心を高めていきましょう。