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何をささげてくれるか

「何をささげてくれるか」

2015年3月29日

ヒエロニムスが砂漠で修業中に、十字架のキリストが彼に現われた。キリストは十字架上から彼に優しくお尋ねになった。「ヒエロニムス、私に何を献げてくれるのか。」ヒエロニムスは喜んで答えた。「すべてをお献げします、主よ。特に、このつらい砂漠の孤独を。」主は彼に感謝され、またお尋ねになった。「ヒエロニムス、他にまだ何か献げてくれるものがあるか。」ためらいもせずに彼もまた答えた。「断食と渇きを。」主はその後も何度かお尋ねになった。「他に何を献げてくれるのか。」ヒエロニムスはその度に、よどみなく答え、時には講釈もつけた。徹夜の祈り、詩編の祈り、霊的読書等々。十字架上の主は、その一つ一つに微笑みながら礼を言われ、また、同じ質問をなさるのだった。 しかしいよいよ最後にはアイデアも底をつき、ヒエロニムスは憂鬱になった。これほど英雄的な犠牲のリストにも、主はまだ満足しておられないようなのだ。沈黙が訪れた。すると、主が、ヒエロニムスを愛しげに見つめて、口をお開きになった。「ヒエロニムス。一つ忘れているよ。お前の弱さも私に献げなさい。お前を赦すことができるように。」主がお求めになられるのは砕けたる魂なのです。

「中川恒子さんの遺書」

2015年3月22日

中川恒子さんという方がおられました。結婚して二年で結核に罹り、施設に入所し、愛する夫や子どもとも引き離されました。しかし孤独と絶望のどん底で、彼女は主イエスと出会い、主イエスの恵みの世界に入れられました。この素晴らしい恵みを、一人でも多くの人々に伝えたいと、それから25年間、病魔と戦いながら、全国の結核患者に向けて文書伝道を続けました。そして多くの人々を慰め、励まし、信仰へと導きました。彼女は死の直前に次のような遺書を書き残しました。『召天のお知らせ。/すばらしい召命です/歓喜でいっぱいです/私は本当に恵まれた病人でした。/私を生かしよく用い/そして死をとおして/神のみもとにまで引き上げてくださる/イエス様に感謝します。/お支えくださった沢山の方々の真心と愛/それこそ私のクスリ、私の宝でした。/ありがとうございました。/ではまた天国でお会いしましょう。/ごきげんよう/アウフ・ビーダー・ゼーン/1971年10月17日/恒子』(彼女の著書『ベテスダの池のほとりで』より)。彼女は、死に際して「歓喜でいっぱいです。私は、本当に恵まれました」と言っています。主イエスと真実に出会った人の姿がここにあります。

「天国に届けた看護師免許」

2015年3月15日

東松島市の仙石病院で看護部長をされている尾形妙子さんのことが「信徒の友3月号」に紹介されていました。尾形さんは東日本大震災で夫の登志憲さん、次女志保さん、長男剛さんを津波で失いました。4年前の3月11日、尾形さんは不眠不休で救急患者への対応に追われていました。携帯電話がつながらない中、家族もきっとどこかの避難所に無事にしているだろうと思っていました。けれども五日後、家族3人の遺体が発見されました。最後の瞬間に家族3人が一緒にいてくれたことに、心から「ありがとう」と感謝したそうです。二女の志保さんは、震災の直前に看護師国家試験に合格していました。娘が生きた証しにと、志保さんに代って国家免許の申請をします。しかし、本人が死亡していると交付されません。それでも粘り強く交渉をして厚生労働省から特別に合格証書の発行を受けた時には、天国にいる家族全員の力で実現したと感じました。クリスチャンの精神科医、故平山正実先生は、その著書の中で「死という人間の限界をはっきり知ることで人間は成長し、充実した生を生きることができる」と記しています。その時が来ることを、今は待望していると尾形さんは語っています。

「Joy」

2015年3月8日

私たちは喜びを得るためには、先ず自分のことを第一に考え、自分の思いを最優先にすべきだと思います。しかし聖書は、自分の思いを最優先とする生き方には、本当の喜びはないと言っています。どんな時にも共にいてくださるイエス様を第一に喜び、次に隣人と共にいることを第二に喜んでいく生き方。そこに本当の喜びがあるといっています。喜びは、英語で「Joy」といいます。ある人が、この「Joy」という言葉の、JはJesusイエス様。OはOthers他人、教会的に言うと「隣人」。そしてYは、Yourselfあなた自身を示していると言っています。Jesus, Others, Yourself。イエス様、隣人、あなた自身。この順番に大切にしていく時に、本当の喜びが得られると言っています。自分を第一とする生き方は、自分が立派にならなければ喜びを得られないと思います。でも私たちは、立派な人間だから喜びの人生を送れる訳ではありません。神様は私たちが立派な人間だから愛してくださるのではありません。神様は、そのまま、ありのままの私たちを愛してくれています。その神様を第一とし、隣人との平和を楽しみつつ、喜びの人生を生きていきたいと願います。Jesus, Others, Yourself。イエス様、隣人、あなた自身。この順番が喜びの秘訣です。

「しぼむことのない夢」

2015年3月1日

先日、アレセイアの卒業礼拝で説教をさせて頂きました。夢に向かって羽ばたこう、と呼び掛けました。しかし、最近は、夢を持てないという若者が増えているようです。「今、したいことは何ですか」という質問に対して、「特に無い」という答えが一番多いそうです。キング牧師の文章に、老牧師と大学生の会話が紹介されていました。老牧師が尋ねます。「君の将来に対する計画は何かね?」。学生が答えます。「法学部の大学院に進むつもりです」。「それからどうするのかね?」。「弁護士になって、結婚して、家庭を持ちます」。「それから?」。「出来るだけお金を稼いで、早めに引退して、世界各地に旅行します」。「それからどうなるのかね?」。「はぁ、これが僕の計画の全部です」。老牧師は、憐れみを込めて言いました。「君の計画はあまりにも小さすぎる。それはせいぜい75年か100年範囲でしかない。君は、神を含むほど大きく、永遠を包含するほどに遠大に人生の計画を立てなければならない」。キング牧師は、この老牧師の言葉を、「賢明な忠告」であると言っています。若い人たちが、永遠に消えることのない夢を与えてくださる主イエスに出会えるように切に祈ります。