「神様は知っておられる」
2016年6月26日
74年前の今日(1942年6月26日)、全国のホーリネス系諸教会の教職が治安維持法違反の容疑で一斉に検挙されました。最終的に教職134名が検挙され、その内75名が起訴されました。拷問のような厳しい取調べと、過酷な獄中生活のために6名の牧師が獄中死、1名が釈放直後に召されました。翌年4月には教会は強制的に解散させられ信徒は教会を失いました。投獄された牧師の一人、安倍豊造師の奥様、安倍ハルヨ師の日記はこう記しています。「昭和18年4月9日(金曜日)。4月7日付けで日本基督教団第六部は解散を命ぜらる。心血をそそぎ来たりし幾星霜。ただ福音のためにのみ生きし我人生。親も、子も、我生命も、一切を献げて戦いしこの幾年月。今は無し。この世に止むべきもの一つだになく、ただうたかたの夢の如し。あるは苦しみと悲しみとのみ。ああ、されど神知り給う、主たしかに憶え給うべし、我血の一滴も、我涙の一しずくも、むなしくはし給わざるべし。」神様は知っておられる。だから苦しみは苦しみだけで終わることはない。悲しみは悲しみでは終わらない。私たちは、このことに慰められ、励まされて、立ち上がることができます。そこに私たちの希望があります。
「主に喜ばれる祈り」
2016年6月19日
5歳になった女の子が、両親と一緒に誕生日のお祝いにレストランに行きました。その子は食事の前にお祈りをしました。両親は内心やめてほしいと思っていました。しかしその子は「だって幼稚園ではいつも神様にお祈りしてから食べるんだよ」と言って、大きな声でお祈りをしました。「神さま、美味しいお食事を感謝します」。彼女は幼稚園で教えてもらった通りのお祈りをし、最後に大きな声で「アーメン」と言いました。すると、レストランにいたお客さんたちから一斉に拍手が起こったのです。両親はその話を嬉しそうに幼稚園の先生に話し、自分たちの不明を恥じ、これからは娘とお一緒にお祈りしますと言って帰ったそうです。神様は祈りの外側の言葉ではなく、祈る人の心の内を見ておられます。たとえ教えられた通りの祈りであっても、その内に真実があるなら神様は喜んでくださいます。どこで祈るか、どう祈るかではなく、私たちの祈りの内に真実があるかが大切なのです。ある牧師が言っています。「ここに主イエスがおられると思って、本当に信じて祈ってみたらいい。今までとは全く違う恵みがある筈だ。」私たちもそのような思いをもって祈る者とさせていただきましょう。
「愛のレモネードスタンド」
2016年6月12日
アレックス・スコットちゃんという女の子がいました。彼女は4歳の時に自分が小児ガンに侵されていて命が短いことを知ります。幼心にも、1日も早くガン克服の研究が進むようにと願ったアレックスは、売り上げを病院に寄付するためのレモネード屋さんを自宅の庭で始めました。アレックスのレモネード屋さんは評判を呼び、マスコミにも取り上げられ全米に知られるようになりました。2004年6月12日。アメリカ全州で少なくとも1つはスタンドを設置して一斉にレモネードを売ろうというイベントが実施され大成功を収めます。それから2か月後に、アレックスは自宅で家族に見守られながら静かに息を引き取りました。僅か8年半の命でした。しかしその後もアレックスの遺志を引き継いだ両親や友人、また全米のこどもたちがアレックスのレモネードスタンドを守り続けています。現在では、全米に約6,000のスタンドが設置されていて、2010年には6百万ドル以上の寄付を献げるに至っています。日本にもその活動は伝えられ各地でレモネードスタンドがオープンされています。そしてアレックスの呼び掛けに全米が応えた6月12日(今日)は「全米レモネード・デー」として祝われているのです。
「ソウルサーファー」
2016年6月5日
13歳の時、サメに襲われて片腕を失ったベサニー・ハミルトンさんが、先週火曜日(31日)に行われた世界女子プロサーファー大会で3位に入賞する快挙を果たしました。彼女をモデルにした映画『ソウルサーファー』の中で、教会の青年部のリーダーがエレミヤ29章11節を示し「私たちの人生も、その時は分からないけれども、すべては神のご計画の中にある」と語ります。しかしハミルトンさんは、どうして片腕を失ったことが神の計画なのか分からないと言い返します。その人が答えます。「なぜ酷いことが起こってしまうのか、私には分からない。けれども、そこから良いものが出てくることを信じなければならない。」その後ハミルトンさんはスマトラ島沖地震の救援活動に参加し、津波の恐怖に怯える人々を励ましていく中で、「サーフィンが全てではない。もっと大事なのは愛であり、それはどんな津波よりも、どんな恐怖よりも大きいのだ」ということに気付くのです。それから彼女は諦めていたサーフィン競技に再び果敢に取り組みました。彼女は若い人に語りかけています。「片腕をなくした後でも、私は望みを実現している。自分の気持ち次第で何だってできることを学んでほしい」。