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不滅の書

「不滅の書」

2016年7月31日

先週、聖書は世界のベストセラーであると書きましたが、聖書は不滅の書でもあります。歴代の専制君主たちは聖書を嫌い、滅ぼそうとしました。すべての人が神様に愛されている、かけがえのない存在であるという教えは、彼らに都合が悪かったからです。紀元303年に、ローマ帝国のディオクレチアヌス帝は、世界中の聖書を一冊残らず焼き払えという勅令を出しました。それでも聖書を隠し持っている人がいれば、死刑にせよと命令しました。彼は、地上から聖書が抹殺されたと思って「キリスト教は滅亡した」という記念碑を建てました。その石碑は今でも残っています。しかしその数年後に、キリスト教はローマ帝国に公認されたのです。250年ほど前にフランスにボルテールという無神論者がいました。彼は「もう100年も経てば聖書は博物館の中でしか見られなくなるだろう」と言いました。しかし現在、ボルテールの家は万国聖書協会の倉庫として用いられ、上から下まで聖書でいっぱいになっています。そして今、彼の著書は大きな図書館でしか見ることが出来ませんが、聖書は世界のベストセラーであり続けています。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」(マタイ24:35)

「世界最大の出来事」

2016年7月24日

以前、米国の「ライフ」誌が、数百人の専門家に「この千年に起こった最も重要な出来事は何か」というアンケートを取りました。最も多かった答えは「1455年のグーテンベルグによる聖書印刷」でした。1455年以来、聖書は連続して世界のベストセラーです。毎年、日本で2百万冊、世界で5億冊以上が出版されています。また世界で最も多くの言語(現在2,355の言語)に翻訳されています。南太平洋のある島での話。椰子の木陰で、一人の原住民が聖書を読んでいました。そこに、日頃から無神論者を自認するイギリス人がやってきて「イギリスでは、よほど時代遅れの人でなければ、そんな本は読まないよ」と言いました。すると原住民は、ニッと白い歯を見せながらこう答えました。「しかし私がこの本を読んでいるからこそ、あなたは無事にここにいるのですよ。私たちは人食い人種でしたが、キリストを信じてから以前の悪習慣を捨てて生まれ変わりました。もし私たちが聖書の教えを知らなかったなら、今頃あなたは私たちの腹の中にいることでしょう。」そのイギリス人は身震いしたまま、二の句をつげずそのまま立ち去ったそうです。聖書は、今も人の人生を変えることができる神の言葉です。

「朝の祈り」

2016年7月17日

高校生の時にジョン・ベイリー師の「朝の祈り」を知って以来、この祈りは私の大切な祈りとなりました。何度、この祈りを口にしたことか数えきれません。以下に、その抜粋を紹介させていただきます。『わがたましいの永遠の父よ、この日、わたしの心にうかぶはじめの思いが、あなたを思うものでありますように、また、まずあなたを礼拝することを思いつき、はじめて口に出す言葉があなたのみ名であり、最初の行いが、ひざまずいてあなたに祈ることでありますように。あなたの全き知恵と全き善のゆえに、あなたが人類を愛されたその愛のゆえに、また、わたしを愛された愛のゆえに、わたしの人生にあたえられた大いなる、くしき機会のゆえに、… 主よ、わたしはあなたをほめたたえ、礼拝いたします。けれども、この朝の祈りをとなえたとき、もう礼拝をおえたとして、のこる一日、あなたを忘れることがありませんように。むしろこの静かなときから、光と喜びと力とが生まれ、残るすべての時間もわたしの心にとどまり、とこしえのさだめをつねに思わせてください。わが主、イエス・キリストによって。』讃美歌211番は詠っています。「きよけき朝よりきよく うかぶは神の思い♪」。

「平和への鐘」

2016年7月10日

バングラデシュのダッカのレストランで起きたテロによって、7名の日本人が犠牲になりました。7人は、バングラデシュの人たちの役に立ちたいとの思いを持って、国際協力事業の調査に行った人たちでした。このような善意の人たちが、なぜ殺されなければならなかったのか。答は直ぐには得られません。今、世界は、憎しみと報復の連鎖に怯えています。憎しみは報復によって消すことはできません。それは新たな憎しみを生み出すだけです。2005年、パレスチナ自治区のヨルダン川西岸北部にあるジェニンで12才のアフメド君が撃たれて、脳死状態になりました。アフメド君はおもちゃの銃を持って遊んでいただけでした。父親のイスマエルさんは、敵対するイスラエルの子どもを救うために、アフメド君の臓器を提供してくれないか、と頼まれました。イスマエルさんは、迷いながらも、息子の命を与えることで、これ上子どもが殺されないようになるかもしれないという切ない願いを持ちました。平和のメッセージを伝えたいとの思いで息子の臓器を提供しました。移植された5人は元気に生きているそうです。このような小さな愛の業が、憎しみと報復の連鎖を断ち切ることができると信じます。

「恥」

2016年7月3日

2年前に亡くなった詩人吉野弘さんの詩には、漢字を題材にした作品が多くあります。その中の一つに「恥」という題の短い詩があります。『心に耳を押し当てよ/聞くに堪えないことばかり』。そう言われてみれば、恥という字は、耳と心から成っています。もし私たちの心にあることが、すべて聞こえてしまったらどうでしょうか。私たちは恥ずかしくて生きていけないかもしれません。神様は、私たちの心の内をすべてご存知です。ですから私たちは、恥ずかしくて神様の前になど、とても出て行かれない筈です。ところが聖書はこう語っています。「だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。」(ヘブライ人への手紙11:16)。この御言葉の「彼ら」のところに、自分の名前を入れて読んでみましょう。私であれば「神は柏明史の神と呼ばれることを恥となさいません。」聞くに堪えないような恥ずかしいことばかりを、心の内に考えているような、私のすべてをご存知の上で、尚も私の神と呼ばれることを恥とされないというのです。そればかりか、聞くに堪えない私の恥を、主は代って負ってくださったのです。何と喜ばしいことでしょうか。深い感謝と慰めに包まれます。