「受け継がれる平和への祈り」
2016年8月28日
先週エリック・リデルという英国人宣教師を紹介しました。中国の日本軍収容所で、彼の指導を受けた青年の中にスティーブン・メティカフという人がいました。毎朝早く、日本のために祈っているリデルの姿を見たメティカフさんも日本人のために祈り始めました。熱心に祈っても日本兵の振る舞いは変わりませんでした。しかしメティカフさんの心には変化が生じました。どうか、この人たちに命の価値を教えてくださいと祈るようになり、怒りや憎しみが消えていったのです。やがてこの思いは宣教師となって日本へ行き、神の愛を伝えたいという祈りに発展していきました。終戦から7年後、メティカフさんは宣教師として日本に渡りました。同じ船に乗っていた朝鮮戦争に赴く若いイギリス兵に、メティカフさんは語りました。「あなた方は銃によって平和をつくろうと韓国に向かっている。私は聖書を持って日本に向かっている。まだ真の平和が実現していない日本に、平和の君であるイエス・キリストを伝えるためだ」。それからの38年間、メティカフさんは日本各地を訪れて主イエスのことを伝え続けたのです。祈りのバトンはリデルさんからメティカフさんへと受け継がれていったのです。
「平和を造り出す祈り」
2016年8月21日
エリック・リデルという英国の宣教師がいました。彼は、パリで開かれた第8回オリンピックの400メートルリレーで金メダルを取った英国の国民的英雄です。しかしオリンピックの後、中国に渡り熱心に伝道活動を続けました。やがて第二次大戦が起こり、日本軍に捕らわれ捕虜となります。そして、終戦の直前に43年の短い人生を日本軍の収容所にて終えました。彼は、収容所の中で英国人の青年たちに「山上の説教」を読み聞かせました。そして「君たちは敵を愛せるか」と質問したのです。青年たちは「あのようなひどいことをする日本軍を愛することなど、とても出来ません」と答えました。エリック・リデルは「私も『出来ない』と思う心が強い。しかしこの御言葉には続きがある。『敵を愛せ』の後に『迫害する者のために祈れ』と主は言われたのだ。愛することはできなくても、祈ることはできるだろう。憎しみの中にいる時、君たちは自分中心になる。しかし迫害する者のために祈る時、君たちは神中心になる。そして、神中心になる時、神が愛している人々を愛さずにはいられなくなるのだ。」私たちは、テロリストや、国際法を無視する隣国のために、どれほど祈っているでしょうか。
「キング牧師の願い」
2016年8月14日
主イエスは「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」と言われました。マルティン・ルーサー・キング牧師は、この御言葉に基づく、説教集を出しています。その中で、キング牧師は、こう語っています。「『汝の敵を愛せよ』という主イエスのご命令は、決してユートピア的”夢想”などではありません。それどころか、私たちの生存のために、絶対必要な教えなのです。”敵をすら愛する”ことこそ、世界の諸問題を解決するカギです。敵をも愛すべき理由は明白です。憎しみに対して憎しみをもって報いることは、ますます憎しみを増すからです。それは、既に星のない夜に、なお暗黒を加えることなのです。暗黒は、暗黒を駆逐することができません。それはただ、光だけができることです。憎しみは、憎しみを駆逐することはできません。ただ愛だけがそれをなし得るのです。憎しみは憎しみを生じ、暴力は暴力を生み、かたくなさはかたくなさを増して、一路”破壊”へと向かっていきます」。キング牧師は、自らが語ったこの言葉に殉じて、39年の短い生涯を閉じました。しかし、彼が命懸けで語ったこの言葉は、今、ますます世界の各地でその重要性を増しています。
「主が与えてくださる平和」
2016年8月7日
私の恩師、島隆三牧師の言葉を引用させていただきます。『私(島師)は献身する前、東北大学工学部助手をしていたが、当時役員のなり手がなくて、潰れかかっていた工学部の組合の書記長を引き受けたことがある。ある年の8月、代々木公園で開かれた原水禁世界大会に参加した。全国各地からゼッケンや鉢巻を締め、のぼりを立てて参加する者もあり、なかなか盛況であった。発言も“アメリカ帝国主義打倒”というようなアジ演説が多かった。内容のある話し合いは近くの大学のキャンパスでなされたが、そこで話される内容も、私には違和感を覚えることが多かった。心身の疲れを覚え、日曜の朝は会場からこっそり抜け出して、富士見町教会の礼拝に出席した。島村亀鶴師(当時)が諄々と語られる説教に心癒され、私の居場所はここ以外にないと痛感したことが忘れられない。そこには何よりもキリストの平和があった。原水禁大会も意義深いことであるが、私たちには次元の違う平和があることを忘れてはならないと思う。』主イエスの御言葉「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。」(ヨハネによる福音書14:27)