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生きる喜び

「生きる喜び」

2016年10月30日

渡辺和子シスターの言葉を紹介します。『私たちは、この世にあって、いつも喜びに溢れて生きていられる訳ではありません。むしろ、生きることの難しさに悩み、生きることに疲れていることの方が、多いのではないでしょうか。しかし、こういう暗い時間、重苦しい経験は、決して無駄でなく、また無駄にしてはいけないのです。このような経験があって始めて、他人の辛い日々を、少しでも理解することができるのです。河野進という牧師が、このような詩を書いています。「天の父さま/どんな不幸を吸っても/はく息は感謝でありますように/すべては恵みの呼吸ですから」。辛いことも悲しいことも「すべては恵みの呼吸」であって、その中に神の愛が隠されていると信じることこそは、生きる喜びを産み出す一つの秘訣なのです。』愛の主が、どんな時にも共にいてくださり、最後には、すべてを益としてくださると信じる時、不幸を吸っても感謝を吐くという、恵みの呼吸が出来るのでしょう。ある人が、とても落ち込んだ時に、聖書の中の喜びという語を数えたところ、八百もあったそうです。その中の一つ、『主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。』(ネヘミヤ記8:19)

「キリスト者の香り」

2016年10月23日

あるサラリーマンが献身への熱い思いを抱き、母親の反対を押し切って、職を辞して神学校へ進みました。伝道師となり、正教師試験にも合格して、いよいよ按手礼を受ける運びとなった時、体の不調を感じて入院することになりました。教会を出て病院に向かう時、奥さんに「本当のクリスチャンとは、その人がいなくなった後に、キリストの香りが残っている人のことを言うのだろうね」と言いました。それが、彼が教会で口にした最後の言葉となりました。末期の直腸がんと診断された彼に、先輩牧師たちが病床で按手礼を授けました。献身に強く反対していた母親は、苦しみの中でも信仰を貫いた彼の姿を見て、信仰へと導かれ、病室で彼から洗礼を受けました。彼が洗礼を授けたのは、生涯にこの母親だけでした。河野進という牧師が「香り」という題の詩を書いています。『みどりごには母乳の香り/学者にはほんの香り/医師には薬の香り/百姓には土の香り/漁師には海の香り/大工には木の香り/画家には絵の具の香り/信徒にはキリストの香りがただようように。』今朝は、いなくなった後にも、キリストの香りを残された信仰の先輩方を想い起こして、召天者記念礼拝をささげます。

「教会における出生率」

2016年10月16日

淀橋教会牧師であった小原十三司師の言葉を紹介します。『預言者サムエルの母ハンナは不妊のために長く苦しみました。当時、不妊の女性は神の祝福から漏れた者であると見做され蔑まれていました。彼女は子供が与えられることを願ってひたすら祈りました。「ハンナは悩み嘆いて主に祈り、激しく泣いた」(サムエル記上1:10)。ハンナの立場に教会を置いてみましょう。今、教会にとって最も深刻な問題は、教会の出生率が低いということではないでしょうか。受洗者の数が減っている。礼拝出席者が減少している。このまま行ったら教会の将来はどうなることかと、危惧せざるを得ない状況です。私たちは、ハンナのように悩み嘆き、激しく泣いて、祈る必要があると思います。神様は、ハンナの祈りに応えてサムエルを与えられました。今の教会の危機に、ハンナのように激しく祈る人がいなければ、信仰の子は生まれません。プロテスタント諸教派の中で、一番出生率が低いのは日本基督教団ではないでしょうか。いえ、教団のことよりも自分自身を顧みなければならないと思います。ハンナのように、信仰の子が与えられることを、心を注ぎ出して祈る人が、今こそ求められているのです。』

「これからの青年伝道」

2016年10月9日

東京基督教大学山口陽一教授が書かれた青年伝道についての文章を引用させていただきます。『これからの青年伝道を考える時、先ず大切なことは青年伝道に取り組む姿勢を持つことです。少子化で子どもがいない、青年は自分に閉じこもり教会に関心を持たない、などと言っていても何にもなりません。たとえ教会に青年がいなくても、家族や知り合いの青年の名前を上げて祈ることはできます。青年が居やすい教会になるための話し合いをすることもできます。青年に声をかけ、教会で青年の声を聞くこともできるでしょう。そのような教会は、すでに青年伝道に取り組んでいるのです。青年伝道に取り組む姿勢を持つと、青年伝道についての興味が湧いてきます。青年が生き生きとしている教会を見学する、青年伝道の団体と協力したり、講師に招いたりすることもできます。』山口先生が言われている青年伝道の団体とは、Hi-b.a.(高校生聖書伝道協会)や、KGK(キリスト者学生会)や、CCC(キャンパスクルセード)などです。これらと並行してキリスト教主義学校との連携強化も大切です。しかし、何よりも大切なことは、青年伝道に真剣に取り組む姿勢を持つことと、そのために祈ることだと示されました。

「若い人に仕える教会を目指して」

2016年10月2日

『最近の若い者は、無気力で覇気がない』。『最近の若い者は、「慎み」を「お人好し」と言ってバカにし、「節約」を「野暮だ、ダサイ」と言って辱める』。『最近の若い者の身なりはなっていない、昔の人たちはもっと思慮深かった』。皆さん、これらの言葉は、誰が言ったと思いますか。某国の政治家の呟きでしょうか。実は、順に、古代の思想家ソクラテス、プラトン、セネカの言葉なのです。2千年以上も前から、年長者は「最近の若い者は」と言い続けてきたのです。しかし自分も、かつてはそう言われていたのです。変わったのは自分なのに、自分の変化に気付かずに、若い人が変わったと思い込んで、若い人の気持ちが分からないと言っているのです。青年伝道は、先ず青年を受け入れ理解することから始まります。そして青年に仕える姿勢を持つことです。教えたり、導くことも大切ですが、最も大切なことは仕える姿勢です。へりくだって、相手の必要を知り、理解することです。そして笑顔で、ゆっくりと、相手を見つめて、話しかけることです。夏休みに多くの中高生が教会を訪れました。皆さんの内、何人の方が、仕える思いを持って、近寄り、話しかけてくださったでしょうか。