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クリスマスの歌(1)、鳥の歌

「クリスマスの歌(1)、鳥の歌」

2016年11月27日

スペインのカタロニア地方の民謡に「鳥の歌」という曲があります。カタロニア出身のチェロ奏者パブロ・カザルスは、この曲を特に愛し、編曲して世界に広めました。この曲は、クリスマスの歌ですが、喜びを響かせるというよりは、澄んだ静けさと、不思議な哀愁を湛えています。奥山正男さんがこの曲に歌詞をつけていますが、その中で「幼な子イエスは、世の罪を身に負って、十字架で死ぬために生まれてくださった」と歌われています。クリスマスの喜びが、主イエスの受難と結びつけられて歌われているのです。カザルスは1961年11月に、ホワイトハウスでこの曲をケネディ大統領の前で演奏しています。東西冷戦が激化する中で、この曲に祈りを込めて平和を訴えたのです。平和の主のご降誕を賛美するのに、もっとも相応しい曲と思ったのでしょう。カザルスは、カタロニアの小鳥は、皆、「ピース、ピース]と鳴く、と言ったそうです。元々の歌詞には、様々な鳥たちの歌が紹介されています。その中でヤマウズラはこう歌っています。「私はあの家畜小屋の中に、私の巣を作るつもりです。あの幼な子を眺めるために、マリアの腕の中で、幼な子がゆれているのを見るために」。

「命を救ったシール」

2016年11月20日

ある雑誌に書かれていた実話です。ニューヨークのある高校で、先生が三年生全員に、その子の長所を書いたシールを作って胸に貼ってあげました。その日からクラスの雰囲気が一変しました。三日後にその先生は、新しいシールを三枚ずつ渡しながら、「あなた達も、誰かに同じようにしてあげなさい」と言いました。一枚のシールがある社長の手に渡りました。帰宅後、その社長は息子にこう語り掛けました。「いつも仕事が忙しくてゆっくり話す時間もなかったね。勉強のことで叱りつけたこともあったね。でも、お父さんは、お前のことを世界一の息子だと思っているよ。世界一の息子へと書いたシールを、お前に貼っていいかい」。息子は静かに頷きました。シールが胸に貼られると、その息子は大きな声を出して泣き始め、一時間も泣き続けたそうです。泣き止んだ彼はこう話し出しました。「実は、僕は今夜自殺しようと思っていたんだ。誰からも愛されていないと思ったから。でも、お父さんが僕を愛していてくれることが分った。だから、もう自殺はしないよ」。自分は愛されている、という実感がなければ誰も生きる事ができません。お互いに愛し合い、生かし合う群れを目指しましょう。

「音楽というプレゼント」

2016年11月13日

病気で苦しむ人を訪問し、ハープを演奏して慰めを与える、というボランティアグループ「リラ・プレカリア(祈りのたて琴)」の代表、キャロル・サックさんはこう言っています。「言葉がなくても祈れるように、神様は音楽をくださった。」サックさんが言っているように、音楽は神様が私たちにくださった素晴らしいプレゼントです。言葉に表せない心の奥底にある思いを、音楽は伝えてくれます。色紙に「意」という漢字一字だけをサインする若いヴァイオリニストがいます。辞書によれば「意」という字は、「抑えられて充満している心」を意味しているそうです。意という字は、分解すると「音の心」となります。心に満ちて、ほとばしり出そうな思いを、表現するのが、音の心(音楽の精神)なのです。一方、「歌」という字は、可、可、欠、と書きます。一説によれば、これは、良いな、良いなと喜んで、あくびが出るほど安らいでいる姿を表しているそうです。神様に全き信頼を寄せている時、良いんだ、これで良いんだと、自分の置かれている状況を受け入れることが出来る。その時、真実の歌が生まれるのかもしれません。『主に従う人よ、主によって喜び歌え。』(詩編33:1)

「恵泉教会の遺伝子」

2016年11月6日

人間の遺伝子はその98%までが、皆、同じで、僅か2%の違いで、性格や才能が異なってくるそうです。あるラジオの番組で、司会者が「遺伝子の情報を読み取れるようになったのは凄いことですね」と言いました。するとゲストの科学者が「いや、もっと凄いのは、最初から遺伝子に情報が書き込まれていたことです。つまり書き込んだ方がいるということですね」と返しました。「それはどなたですか」と司会者が聞くと、暫く沈黙がありましたが、結局、神様しかいないだろうということになりました。神様は、私たちの遺伝子を、御心に従ってデザインされ、ご計画のために私たちを生かそうとしておられます。同じように、神様は、教会にも遺伝子をデザインされています。茅ケ崎恵泉教会は、神様からその遺伝子をいただいています。神様は、65年前に、茅ケ崎恵泉教会はこのような教会になって欲しいと願われて、この地に御体なる教会を立てられました。私たちは、その遺伝子を有効に生かしているでしょうか。神様から「もったいないなぁ」と言われてしまう可能性はないでしょうか。私たち一人一人も、そして教会も、与えられ遺伝子を、造られた方の御心に従って活かしたいものです。