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許したまえキリスト・イエスよ

「許したまえキリスト・イエスよ」

2018年2月25日

平昌オリンピックが終わろうとしています。たくさんの感動を貰いましたが、その一つに高梨沙羅選手の銅メダルがあります。4年前のソチ・オリンピックで金メダル最有力候補と言われていたのにまさかの4位。不幸な追い風のせいだと言われていますが「本当に実力があれば関係はないと思うので、実力が足りなかったのだと思います」と言い訳一つしませんでした。17歳(当時)とは思えない言葉に驚いたことを覚えています。銅メダルで終わった今回も「自分がまだ金メダルを獲る器ではないということだと思います」と謙虚なコメントをしています。(高梨沙羅選手はクリスチャンだそうです。)ソチ五輪後に加治勢以という人がこんな短歌を作っていたことを知りました。「我も又 重き荷負わせし 一人ならむ 許したまえよ 高梨沙羅よ」。自分も含めて周りの期待があまりに大きかったせいだろうと、高梨選手に詫びている歌です。この短歌を知ってこんな思いに導かれました。「我も又 重き荷負わせし 一人ならむ 許したまえよ キリスト・イエスよ」。私たちの罪の重荷を負って、十字架を担ぎながらゴルゴダへと歩まれる主イエス。その重き荷を負わせたのはこの私です。許してください、主よ。

「愛の定義、その2」

2018年2月18日

先週に続いて愛についての言葉を紹介します。先ず愛を自然に譬えると; 「愛は、お月さまのよう、満ちていかなければ、欠けていく。(V.デ・セスール)」。 「愛という国に平地はない、そこでは、高く登るか、下っていくか。(F.J.シーン)」。 人生と愛について; 「人生の総量は、愛するために生きた時間の総量である。(V.ブッシュ)」。 「ひとしずくの愛は、意志と知性の大海よりも、大きい。(B.パスカル)」。 「人間は、多く愛するほど、いっそう人間らしくなる。(A.デルプ)」。 愛の性質について; 「与えても、また芽生えてくるもの、それは、愛だけである。(R.フーク)」。 「愛を持っていないなら、愛を贈ることはできない。愛を贈るとき、初めて、愛を手にすることができる。(A.アウグスティヌス)」。 「お互いに贈り物を交わすことだけでなく、お互いが贈り物であること。これが神、そして人間自身の核心であり、究極の姿である。(K.ヘメルレ)」。 愛と赦しについて; 「愛は誠実さにおいて試され、ゆるしによって完成する。(V.ベルゲングリューン)」。 「愛し合っている人たちは、ゆるし合うことによって生きている。(M.ハウスマン)」。

「愛の定義」

2018年2月11日

以前、アメリカのある新聞が言葉の定義コンテストを開きました。選ばれた定義の中には「なるほどなぁ」と思うようなものがいくつかありました。例えば、お金とは「天国以外のすべてのところに連れて行き、幸せ以外のすべてのものを買うことができる手段」だそうです。友達とは「全世界があなたから離れて行った時、ひとり駆け寄ってくれる人のこと」だそうです。では愛とは一体何でしょうか。選ばれた定義の一つは「あなたの存在を喜ぶこと」というものでした。人は、相手の持っている財産や、容姿や、才能を喜ぶことはできます。しかし本当の愛は、その人の持ち物や、容姿や、才能ではなく、その人の存在そのものを受け入れて喜ぶ心です。神様の愛とはそのような愛です。イザヤ書43章4節はこう言っています。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(新改訳聖書)」この御言葉は、私たちをそのまま、ありのままに受け入れ、喜んでくださる神様の愛を伝えています。神様は、私たち一人一人を、かけがえのない存在として造ってくださいました。ですから神様は、どのような時にも、ご自身の自信作を決して見捨てず、共にいてくださるのです。

「こころの賛美歌・唱歌」

2018年2月4日

大塚野百合先生監修の「こころの賛美歌・唱歌」という本で、「あの歌が讃美歌になっていたのか」とか、「あの讃美歌のメロディーが唱歌に採用されていたのか」という新しい発見をしました。たとえば「埴生の宿」は明治36年版讃美歌で「わずらい多き世の中にも」という歌詞で取り入れられています。フォスター作曲の「故郷の人々(スワニー川)」も同じ讃美歌に「花よりも愛でにし」という歌詞で取り入れられ、母の祈りの歌となっています。多くの人から愛されている「いつくしみ深き 友なるイエスは」は、唱歌として取り入れられ、戦前は「星の界(よ)」、戦後は「星の世界」として愛唱されてきました。この讃美歌は昭和6年版讃美歌では、「母君にまさる ともや世にある」という歌詞で知られていました。お年を召された教会員の中には、この歌詞に懐かしさを覚える方も多いと思います。母を想う讃美歌で今も愛されているのが、54年版讃美歌の510番「まぼろしの 影を追いて」です。特に4節「汝がために祈る母の いつまで世にあらん 永遠に悔ゆる日の来ぬ間に とく神に帰れ」。この歌詞に迫られて教会に戻って来た方もおられます。讃美歌21に残して欲しかった曲の一つです。