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神はわたしの避けどころ

「神はわたしの避けどころ」

2019年10月27日

「民よ、どのような時にも神に信頼し/御前に心を注ぎ出せ。/神はわたしたちの避けどころ。」(詩編62:9) 「神はわたしの避けどころ」。これは詩編にたびたび出てくる言葉で、詩人たちが最も愛した表現の一つです。時として私たちは「信仰とは、結局は逃避ではないか。あなたは現実から逃げているだけではないか」と批判されることがあります。そんな時、私たちは必死になって「そんなことはない。信仰は逃避ではない」と弁明します。しかし加藤常昭師はこう言っています。「何も強がることはない。詩編は、私たちが逃げ場所を持っていることをむしろ誇らかに歌っている。神の許に逃れることができること、逃れる場所を与えられていることを知っているから、私たちは強く生きることができるのです。何も酒に逃げ場所を見つけているのではない、ギャンブルや遊びを逃げ場所にしているのではない。まことの神の前に、信じる仲間たちと共に集まり、安らぎを得ること。そのことに私たちは何もためらうことはありません。」心がくじけそうになる時、私たちは教会に集まり、確かな避けどころである神様の許に逃れることができるのです。この幸いを心から感謝したいと思います。

「嵐の中の礼拝」

2019年10月20日

台風19号が接近していた12日の土曜日、「明日の礼拝はあるのですか」という問い合わせがありました。教会は他の集会を休むことはあっても、一人でも集まれるなら礼拝を中止することはありません。教会の歴史は、困難な中でも礼拝を守ってきた闘いの歴史です。初期のキリスト教徒は、ローマ帝国の迫害を逃れ、カタコンベと呼ばれる地下墳墓に集まって、殉教者たちを葬る傍ら、そこを隠れ家として礼拝を守り続けました。東日本大震災の直後、津波で全壊した「気仙沼第一聖書バプテスト教会」の跡地のがれきの中に、流木を括り合わせて作った十字架が立てられ、そのもとに助かった人たちが集まって礼拝が守られました。助かったことを感謝し、召された方の霊を主の御手に委ね、ご遺族の上に主の慰めを祈ったのです。礼拝を守ることは、教会の生命線です。そこに教会がある限り、礼拝は続けられます。逆に礼拝を止めたなら、どんなに立派な会堂があったとしても、それは教会ではなくなります。たとえ牧師一人だけであっても礼拝は守り続けられます。そこに主が臨在され、主の御言葉が語られ、主の聖名が崇められる限り、どこにおいても、たった一人でも礼拝は成立するのです。

「ある献身者の生き方」

2019年10月13日

ウィリアム・ケアリーの村の人たちは、彼が宣教の父と呼ばれるようになるとは思ってもみなかったと思います。彼は貧しい織工の息子に生まれ、しがない靴職人として暮らしながら、ギリシア語、ヘブライ語、ラテン語を独学で習得しました。長い苦労の末、宣教師になりインドに赴く夢を実現させました。しかし我が子の死や妻が精神を病むなど、苦汁をなめました。長い間、宣教の成果もありませんでした。そんな中で、聖書を6つの言語に翻訳し、また29の言語に抄訳しました。その原動力は何だったのでしょう。彼は足を引きずっても前進すると言いました。何があっても神に仕えると決めていました。このような献身は、ヘブライ人への手紙の6章で推奨されています。手紙の筆者は、怠けないように(12節)、最後まで希望を持ちつづけ、同じ熱心さを示すように求めています(11節)。また、神は、御名のために示した愛や奉仕を決してお忘れにならないと断言しました(10節)。後年、ウィリアム・ケアリーは、神の満たしを振り返り、「神は決して約束を破らない。だから、私も神に仕えることを怠るわけにはいかない」と語りました。神様は私たちにも日々仕える力をくださいます。

「オリンピックで示された神の愛」

2019年10月6日

オリンピックで活躍したクリスチャン選手としては、金メダルの最有力候補であったのに、聖日礼拝と重なるので100メートル競争を棄権した英国のエリック・リデルが有名ですが、もう一人います。ジェシー・オーエンスは1936年のベルリンオリンピックの数少ない米国黒人選手の一人で、憎しみを煽るナチスと指導者ヒトラーの前で4つの金メダルを獲得しました。彼は両親の強い信仰に影響された勇敢なキリスト者でした。親しくなったドイツのルッツ・ロング選手は、ナチスの世論操作の中で、オーエンスの信仰から来る何げない行為に衝撃を受けたと言います。後に手紙にこう綴っています。「君と最初に話したのはベルリンだったね。君が地面にひざまずいた時、祈っていると分かったよ。…今、僕は、神を信じてもいいかなと思っている。」オーエンスの姿は、「悪を憎み、兄弟愛をもって心から互いに愛し合い」(ロマ書12:9-10)というパウロの命令に、キリスト者がどのように応じられるかを示しています。彼は、自分を取り囲む悪に憎悪をむき出しにすることもできましたが、信仰による愛を示す道を選びました。彼の愛を受けた人は友人となり、やがて神を信じてもよいと思ったのです。