「主は私の羊飼い」
2019年12月29日
百年程前、二人の牧師がウェールズを旅していた時一人の羊飼いの少年に出会いました。彼らはこの少年に詩編23編1節の御言葉を教えました。「主 は 私の 羊飼い、Lord is my shepherd」。少年は字が読めないので4本の指を使って教えました。一年後に二人は再びこの地を訪ね、ある民家に立ち寄りました。すると一年前に会った少年の写真が飾ってありました。この家の婦人が言いました。「これは、私の息子の写真です。息子は昨年の冬に山で吹雪に遭って死にました。でも不思議なことに、右手で左手の薬指をしっかりと握ったまま死んでいたのです。」二人は深い感動に覆われました。なぜなら4本の指をもって御言葉を教えた時にこう言ったからです。「主 は 私の 羊飼い」。この、「私の」が大切ですよ。だから「私の(my)」を表す薬指を、いつもしっかりと握り締めて忘れないようにしなさい。この少年は薬指を握り締めつつ天国に行ったのです。中国奥地伝道の開拓者ハドソン・テイラーは言っています。「主は私の羊飼いである。日曜日も、月曜日も、1週間のすべての日を通して、主はそうである!1月もそうである。12月もそうである。1年中のすべての月を通して、主はそうである。」
「神は待ち望むべきもの」
2019年12月22日
非行少年の教育・指導を行っている北海道家庭学校の第五代校長であった谷昌恒先生はその著書の中でこう言っています。「求め尋ねて神は得られるものではない。神は待ち望むべきものである。そしていつか神に満たされている自分を発見する。空虚に耐え、さびしさをこらえ、ひたすらに待ち望んで、ふとあるとき、自分がうしろから支えられていることに気づく。それを信仰と呼ぶ。」谷先生の言葉は、祈りを通して,祈りの中でこそ、神と出会うことができるということなのでしょうか。電車への飛び込み自殺未遂で両足の膝から下を失い左手も失った田原米子さんは、絶望の中で生まれて初めて祈りました。「神様、もしあなたが本当におられるなら、信じさせてください」。その晩、彼女は自殺未遂以来、初めてぐっすり眠れたそうです。そして翌朝目覚めた時、全てが変わって見えたそうです。神様に出会うとはそういう事ではないでしょうか。「分からせてください。いえ、信じさせてください」と祈って待ち望む。その時、私たちはうしろから支えられていることに気づかされるのです。うしろから支えられているから、前を見ることができるのです。それを信仰と呼ぶのだと思います。
「静かな、小さな愛の声」
2019年12月15日
ヘンリ・ナウエンの著書よりの引用です。「多くの声が私たちの注意を促します。『お前がよい人間だということを証明しろ』と言う声があります。別の声は『恥ずかしいと思え』とささやきます。また『誰もお前のことなんか本当には気にかけちゃいない』という声もあれば、『成功して、有名になって権力を手に入れろ』と言う声もあります。けれども、これらの非常にやかましい声の陰で、静かな、小さな声がこうささやいています。『あなたは私の愛する者、私の心にかなう者』と。それは、私たちが最も聞くことを必要としている声です。しかしその声を聞くには、特別な努力を要します。孤独、沈黙、そして聞こうとする強い決意を必要とします。それが祈りです。それは、私たちを『私の愛する者』と呼んでいる声に耳を傾けることです。」ヘンリが言っている「静かな、小さな声」。それは預言者エリヤが、迫害を逃れて荒れ野を歩き続け、疲れ切って神の山ホレブに着いた時に聞いた「静かにささやく声」と同じです。英語の聖書は「the thin voice of silence」「沈黙の細き声」と訳しています。たとえ僅かな時間であっても、日々祈りを通して語られる「沈黙の細き御声」に耳を傾けたいと思います。
「中村哲医師を偲ぶ」
2019年12月8日
パキスタン,アフガニスタンで35年に亘って医療活動、灌漑事業などに献身し現地の人たちから慕われ、尊敬されていた中村哲医師が何者かに銃撃されて、12月4日天に召されました。キリスト者である中村医師は1984年に日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)からパキスタン、ペシャワールのミッション病院に派遣され医療活動に従事されました。その後、活動拠点をアフガニスタンに移し、東部や山岳地帯の無医村に次々に診療所を作っていかれました。しかし病気の背景には劣悪な衛生環境と慢性の食糧不足があることを知り、飲料水・灌漑用井戸事業を起こし、更に大掛かりな水利事業によって1万6500ヘクタールの畑をよみがえらせました。中村医師は言っています、「我々の歩みが人々と共にある「氷河の流れ」であることを願っている。その歩みはのろいが、巨大な 山々を削り降ろしてゆく膨大なエネルギーの塊である。我々はあらゆる立場を超えて存在する人間の良心を集めて氷河となし、騒々しく現れては消えるこの世の小川を尻目に、確実に困難を打ち砕き、かつ何かを築いてゆく者でありたいと心底願っている。」私たちも氷河の中の一粒の氷(良心)となっていきたいと願わされます。
「敗北を勝利に」
2019年12月1日
世はキャッシュレス時代に向かっています。クレジットカードが登場したのは1950年のことです。アメリカの実業家フランク・マクナマラ氏は、ニューヨークの有名レストランで盛大なパーティを開きました。食事が終わって支払いをしようとしたら財布を持って来るのを忘れたことに気づきました。レストランのオーナーも招待客も軽率なマクナマラ氏を激しく非難しました。惨めな敗北感を味わった彼は、現金がない時に食事代を支払える方法を研究しました。その結果生まれたのが世界初のクレジットカードであるダイナーズカードです。カード事業の成功によって彼の富は更に増えました。敗北が勝利に変わる逆転が起きたのです。史上最大の大逆転。それは主イエスの十字架と復活です。ゴルゴダの丘の惨めな十字架は誰の目にも敗北と見えました。しかし神様は、主イエスを復活させてくださり、永遠の命という輝かしい勝利への道を開いて下さったのです。私たちはカードを普及させるよりも福音を伝えたいと願います。なぜならカードは使えば使うほど自分の財産(お金)を少なくしますが、十字架によって与えられる永遠の命という財産(恵み)は尽きることがなく成長していくからです。