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隠された恵みを見い出すチャンス

「隠された恵みを見い出すチャンス」

2020年3月29日

新型コロナウイルス対策のため、礼拝以外の集会を開くことができなくなりました。聖書講読・祈祷会を持つことができないのは大きな痛み・悲しみです。そして毎週当然のように祈祷会ができたことが、決して当たり前のことではなく、大きな恵みであったことを知らされました。一つの扉が閉じると必ず別の扉が開かれます。閉ざされた扉の前で佇んでいるより、気づいていない別の扉はどこなのかを探したいと思います。パウロは伝道のために訪れた地で、まずユダヤ人の会堂に行って伝道しました。しかしユダヤ人から追放されると、今度は異邦人に向かって福音を伝えました。異邦人も福音を拒んで彼を投獄したときには、獄中で福音を述べ伝えました。語るべき相手がいないときには、各地の教会や同労者を励ます手紙を書きました。いつでも、どこにいても、やるべきことを示されて、それを実行していったのです。教会に来ることができなくなった時には、それぞれが置かれた場所で、聖書の御言葉と静かに向き合い、祈りをささげて、家庭礼拝やディボーションの時を、今まで以上に大切に守って頂きたいと思います。今まで気づかなかった恵みを見出すチャンスとなるかもしれません。

「愛は造り上げる」

2020年3月22日

新型コロナウイルスにインフルエンザの治療薬「アビガン」が有効らしいということが報じられています。人類は様々な病気に対して新しい栗を開発して闘ってきました。ウイルスは細菌ではありませんので抗生物質は効きませんが、最初の抗生物質ペニシリンを開発したアレキサンダー・フレミングは細菌性の病気の治療に多大の貢献をしました。貧しい農家の息子であったフレミング少年はある日、高名な政治家の馬車が家の近くの泥沼に入り込んで動かなくなっているのを見て必死になって馬車を沼から引き上げました。彼の行為に感動した政治家は、医者になりたいという彼の夢をかなえるために学費の援助を申し出ました。50年後、イギリスは第二次世界大戦という国家存亡の危機にありましたが、首相のチャーチルは重い肺炎で死にかけていました。そのチャーチルにフレミングが開発したペニシリンを投与したところ劇的に効いて一日で元気になりイギリスを勝利に導きました。実は50年前に馬車を引き上げてもらった政治家はチャーチルの父親であったのです。少年の小さな愛の行為が多くの人の命を救う薬の開発へと結び付いたのです。「愛は造り上げる」(第一コリント8:1) のです。

「愛の綴りを知っていますか」

2020年3月21日

ルカによる福音書13章6節~9節に、主イエスが語られた「実のならないいちじくの木」の譬えが記されています。三年間も待ったのに全く実をつけないいちじくの木を切り倒すようにと言われた園丁(主イエス)が、「どうかかもう一年待って下さい、周りを掘って肥しをやってみます」と必死に執り成す話です。主イエスの愛を伝えている話です。ある人が「LOVE(愛)の綴りを知っていますか」と質問したそうです。質問の意味が分からずに変な顔をしていると、その人は「LOVE(愛)とはT-I-M-E(時間)と書くんですよ」と言ったそうです。三年待っても実を付けないいちじくの木は、土地を無駄に塞ぐだけだから切り倒せ。これは道理に適っています。もう一年待っても実をつける保証はありません。ですから待つことは道理に適っていません。しかし藤木正三という牧師がこのような言葉を残しています。「正論とは、道理は通っているが人間に届いていないせっかちさです。反対に、道理は通っていないが人間に届いているゆるやかさ、それを愛と言います。」主イエスがせっかちなお方ではなく、緩やかな愛のお方でいて下さったので、私たちは切り倒されずに済んだのです。主の愛に感謝します。

「拒絶された命懸けの愛」

2020年3月8日

東日本大震災から間もなく9年が経ちます。当時、私は清水ヶ丘教会に仕えていましたが、教会の隣に住んでおられる方のことがずっと気になっていました。お一人でお住まいなのできっと不安を覚えておられるだろうと心配していました。その方は教会に対して良い印象を持っておられないので、私の気持ちをどう伝えるか分からないままに日を過ごしていました。ある日、祈りの中で示されて、買いだめのために品薄になっていたお米のレトルトパックをいくつか持って、お宅を訪ねました。しかし案の定「今頃、何しに来たんだ」とお叱りを受けてしまい、持って行ったお米も、それに添えたカードも受け取って頂けませんでした。予想していたこととはいえ、やはり悲しい思いに覆われました。しかし、その時ハッと思わされたのです。主イエスはお米のパックどころではない、ご自身の命をささげてくださったのに、人々は主イエスの命懸けの愛を受け止めることが出来なかったのです。ですから主イエスは、最後までお一人で十字架に向かわれたのです。私たちも思いやりが受け止められないという経験をする時があります。でも、そのような時は、十字架の主を見上げていきたいと思います。

「ダミアン神父の愛」

2020年3月1日

多くの新型コロナウイルスの感染者を出したクルーズ船に検査などのために、危険をも厭わずに乗り込んだ医療関係者の方々の勇気と使命感に頭が下がります。申し訳ない思いもします。約150年前、ハワイのモロカイ島はアメリ本土から送られてきたハンセン病患者を隔離する悲惨な島でした。当時800人ほどの患者が隔離され、誰からも世話をされず毎年100人以上が死んでいくという希望のない島でした。患者からキリスト教の聖職者を送ってほしいという要望が出されましたが誰も行こうとしません。その時、まだ26歳であったダミアンという神父が「私を派遣してください」と申し出ました。彼は周囲の止めるのも聞かずにモロカイ島に渡り49歳で死ぬまで、ハンセン病患者の看護に当たりました。ダミアン神父は自分一人が健常者であるため島の人たちと心が一つにならないことを悲しみ「主よ、私をハンセン病患者にしてください」と祈りました。そして自らもハンセン病に罹かり「私たちハンセン病患者は」と語ることができるようになったことを喜びました。罪に汚染されたこの世に来てくださり、人々の罪を一身に負って十字架にかかってくださった主イエスに倣った生き方を生きたのです。