MENU

新しいぶどう酒になろう

「新しいぶどう酒になろう」

2020年8月30日

素晴らしい新会堂が与えられました。私たちは街を歩いていて、立派な家を見ると「どんな人がここに住んでいるのだろうか」と思いを巡らせます。こんな素晴らしい家に住んでいるのだから、きっと素晴らしい人たちなのだろうと想像します。今、私たちは問われています。「こんな素晴らしい会堂に集う人々は、どんなに素晴らしいキリスト者の群れだろうか」と。新しい革袋が与えられました。それに相応しい新しいぶどう酒が求められています。主が、素晴らしい革袋与えてくださったのは、私たちがそれに相応しいぶどう酒になって欲しい、という願いが込められているのだと思います。カトリック茅ヶ崎教会の前主任司祭、市岡之俊神父が次のような祝辞をくださいました。『このコロナ渦の中、わたしたち主の教会は、これまで以上に、地域に住む方々の霊的な飢えと渇きに、心から寄り添っていくための、新たなミッションを与えられております。主はこの湘南の地に、茅ヶ崎恵泉教会のみなさまを通して、また新たな聖霊の息吹と希望を注いでくださいました。』主は、新会堂を与えてくださり、聖霊の息吹と希望を注いでくださっています。この恵みに応えて共に立ち上がりましょう。

「小さな声で賛美する愛の心」

2020年8月23日

イザヤ書42章から示されたことがあります。イザヤ書42章1節~3節はこう語っています。「見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。…彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく…」ここで語られている主の僕は、叫ばず、呼ばわらず、声を上げません。なぜでしょうか。それは、大きな声を出して、消えかかっている灯心を消してしまわないためです。弱い人を守るためです。大きな声を抑える。それは愛の行為なのです。私たちは、今、礼拝において大きな声で賛美することを控えています。大きな声で賛美するのは茅ヶ崎恵泉教会の特色でした。しかし今は、それを控えて、小さな声で賛美しています。私たちの心の中には、「なぜ主の恵みに応えて、力いっぱい賛美出来ないのか」という残念な思いがあると思います。しかし、今この時に、主が選び、喜び迎える僕は、灯心を消さないために大きな声を我慢する愛の人なのです。今、私たちは、隣人のために大きな声を控えて小さな声で賛美することを求められています。イザヤ書42章が語る主の僕の姿に倣うことが求められているのです。

「プレゼンス(存在)とアブセンス(不在)の相互作用」

2020年8月16日

牧師でありカウンセラーでもある堀肇師の言葉を引用します。「人を支える働きは、一緒にいて慰め、励まし、導くという、共にいること(プレゼンス)によってなされます。しかしこの働きは共にいないこと(アブセンス)によってもなされうるもので、遠く離れていても祈りや想起の中でお互いの関係を深めることができます。ずっとそばにい続けると、距離が近すぎて相手が見えなくなり、却って親密さを得られないことがあります。本当に良い関係とは存在と不在の相互作用の中で出て来るのです。人間関係でも距離を取り、そこにいないことによって良い方向へと変容する可能性があります。今、私たちは三密を回避し、ソーシャル・ディスタンスを確保するため、集会や交わりに大きな制約を受けています。しかしこの状況の全てがマイナスではなく、一時的に「共にいないこと」によって日常生活を静かに振り返ることになり、祈りが深められ、対人感情も温かく優しくなっていくのを感じることがあります。パウロも言っています。『わたしは体では離れていても、霊ではあなたがたと共にいて、…固い信仰とを見て喜んでいます。(コロサイ2:5)』このような恵みの世界が存在するのです。」

「今、誠実になすべき職務とは」

2020年8月11日

コロナ禍に揺らぐ世界で、改めてアルベール・カミユの小説「ペスト」が広く読まれています。小説の舞台は1940年代のアルジェリアです。そこでペストが大流行したという設定の物語です。主人公の医師リウーとその仲間たちは保健隊を組織してペストとの困難な戦いを必死に展開していきます。小さな子供が苦しんだ末に命を落としたのをどうすることもできなかったリウーは友人の神父パヌルーに「あの子だけは少なくとも罪のない者でした、あなたもそれをご存じのはずです」と激しく詰め寄ります。パヌルー神父が苦渋に満ちた言葉を返します。「恐らく我々は、私たちに理解できないことを愛さねばならないのです」。その言葉にもリウーは強く怒りますが、やがて、その後、怒ったことを詫びたのでした。ある日リウーは友人との会話の中で「ペストと戦う唯一の方法は誠実さだ。そして、その誠実さとは、自分の職務を果たすことだ」と言いました。コロナと戦う唯一の方法も誠実さであるとしたら私たちにとってなすべき職務とは何なのでしょうか。それぞれが今なすべきことを誠実に行っていきたいと思わされます。そして、その職務の一つに「祈ること」があるのではないでしょうか。

「愛が冷え込まないように」

2020年8月2日

コロナ禍の不安に脅える中、集中豪雨による自然災害が日本を襲いました。ある人が「異常気象による自然災害もコロナ禍も人間が自ら引き起こしたものだ。異常気象の原因は、際限なくエネルギーを消費した結果の温暖化によるものだし、コロナ禍は、本来は食べるべきではない野生動物の肉を消費したことによって起こった。ウィルスが人間を襲ったというより、人間が彼らを巣から引っ張り出したのだ」。この言葉の科学的根拠は検証される必要がありますが、私には説得力をもって迫って来ます。もしこの仮説が正しいとすれば、現在の災いは「自分さえよければ良い、Me First!」という極端な自己中心主義が引き起こしたものとなります。そうであれば、私たちは今、新しい価値基準に生きることが求められています。他者との共存を大切にする価値基準です。暑い夏にもマスクを掛けるのは自分を守ることもありますが、他人に移さないようにするためです。エネルギーの消費も、私たちが少しずつでも我慢すれば、この世の生態系の破壊は食い止められます。主イエスは、終末には「人々の愛が冷める」と言われました。愛を冷やさないことが地球全体の滅亡を防ぐことになるのだと信じます。