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花壇の恵み

「花壇の恵み」

2021年4月18日

会堂入り口の花壇には。教会員の皆さんが心を込めて植えてくださったお花が美しく咲いていて、道行く人々の心を和ませてくれています。カトリックの片柳弘史神父は、その著書の中でこう言っています。「私は仕事や人間関係に疲れて心が動かなくなった時、庭を散歩し、花壇の花を眺め、ぼんやりと時を過ごします。すると、すさんでいた心が穏やかになり「よし、もうひと頑張り」と思う力が湧き上がってくるのです。神様が造られたすべてのもの、愛から生まれたすべてのものには、私たちを包み込むやさしさがあり、その愛のぬくもりの中で、生きる力がよみがえるのでしょう。私たちの心に愛があり、愛から言葉が生まれてくるなら、その言葉は、どんな時でも必ずやさしいのです。やさしい言葉の記された本をめくり、やさしい言葉の庭をゆっくり散歩するなら、私たちの心は癒されていくでしょう。」私も、疲れた時に花壇の花を眺め、聖書が語るやさしい言葉の庭を散歩することによって、立ち上がる力を与えられています。身近な所に、そのようなやさしさが与えられているとはなんと幸いなことでしょうか。すべてのやさしさを造ってくださった神様の愛に心から感謝いたします。

「渋沢栄一の忘れがたい体験」

2021年4月11日

今年の大河ドラマの主人公は、日本資本主義の父と称されている渋沢栄一です。彼がアメリカに行った時、百貨店王と言われ、当時商務長官だったジョン・ワナメーカーの世話を受けました。熱心なクリスチャンであったワナメーカーは、ある日曜日、渋沢を教会の日曜学校に招いてスピーチを頼みました。渋沢は「私は論語を毎日読んでいる。私は仏教も儒教もキリスト教も同じだと思う」と話しました。するとワナメーカーは立ち上がって「今、東洋の紳士が、キリスト教も仏教も儒教も同じだと言われましたが、私は絶対に違うと信じる。なぜなら孔子も釈迦も死んでそのままであるが、キリストは一度死んだが、死者の中から復活させられて、今もここに、私たちの中におられる」と涙を流しながら語ったそうです。後日渋沢は、アメリカ滞在中、最も印象深かったことはこの場面だった、と記者団に語ったと言われています。お寺の五重塔は釈迦の遺骨を収めるためのものです。中国山東省には孔子とその一族の墓があります。しかし教会にはそのような記念物はありません。なぜならキリストは復活されたので遺骨がないからです。ワナメーカーはこの決定的な違いを涙ながらに語ったのです。

「主がなされる新しいこと」

2021年4月4日

先週、来年度の主題聖句としてイザヤ書43章19節を示されていると書きました。「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる。」この御言葉は、バビロン捕囚からの救済の約束を、イスラエルの民に語ったものです。主はイザヤを通して、捕囚からの解放を予告して下さいました。それは全く新しいことで、かつて起こった出エジプトの奇跡が色あせる程に、驚くべき出来事なのだと言われたのです。だから、昔のことを思い巡らすな。私は、昔の出来事にまさる新しいことを行う。そして、それはもう芽生えているのだ、と言われたのです。過去を振り返る時、神様の祝福を想い起します。しかし、過去に必要以上に固執するなら、これから主が行われようとしている御業を見逃してしまいます。2021年度、私たちは教会創立70周年の恵みに与ります。新しいい会堂を与えて下さった主は、その会堂を用いて新しいことを始めようとされています。そして、それは、既に芽生えていると言われています。主が始めようとされていることを、悟ることができますように、共に祈ってまいりましょう。