「病院にいる人々への祈り」
2021年6月27日
敬愛するS師が、ネヴィル・スミス著の『病院にいる人々への祈り』に書かれている詩を説教の中で引用されています。このような詩です。「父なる神様、病院の流された涙を顧みてください。小児用ベッドの傍らの苦しみの涙、死にゆく幼子への両親の涙、飲酒運転した人への怒りの涙、愛する者を失った家族の涙、死にたいほどの苦しみの中で錯乱している人々の涙、悪い知らせをもたらす涙、時間と能力の限界を体験した若い医師の涙、自分の弱点を良く知っている経験を積んだ看護婦の涙。しかし、神様、病院で流される涙のすべてが悲しみの涙ではありません。新しく生まれた子どもを、畏れと驚きをもって見つめる両親の涙、家族や友人の愛と親切に支えられたことを改めて知った涙、あなたに対する愛と感謝の心で満たされた人々の涙、自分の感動を他の方法では表すことのできない人の涙。父なる神様、イエスさまが涙を流されたように、すべての人々が流す涙を受け入れてください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン」。私たちも色々な涙を流します。しかしその涙の一滴一滴を神様は見ていて下さり、共に涙を流して下さっています。そこに私たちの慰めと喜びがあります。
「感謝できる恵み」
2021年6月20日
中国で宣教師として働いていたヘンリー・フロストは、様々な困難が重なって、神の恵みが何かということが分からなくなっていました。悲しみと憂いが彼の心を支配し、苦しい毎日を送っていたとき、一枚の額に記された言葉が彼の目に飛び込んで来ました。そこには「試しに感謝してみなさい」という言葉が記されていたのです。その言葉に捉えられた彼は感謝すべきことを数え上げ、胸が熱くなり、ひざまずいて祈りました。すると彼の心に光が差し込み、それまで彼の心を支配していた闇が消え去って、重かった心は軽くなるという経験をしました。感謝することは、心に方向転換をもたらすのです。今朝の説教で紹介した林竹治郎画伯の名画「朝の祈り」の絵の中で、母の膝に伏して祈っている三歳の男の子が描かれています。この子は後にハンセン病患者救済のために命を献げた林文雄医師です。彼は、36歳の誕生日に父に手紙を送り「私が今日まで両親から受けたすべてのことに感謝します。しかし、何よりもお父さんが聖書を私に与えられたこと、そしてキリストの教えに導いてくれたことを感謝せずにはおれません」と書きました。このような感謝ができるとは何という幸いでしょうか。
「もし神が私たちを忘れたら」
2021年6月13日
こんな詩があります。「もし、神が私たちを忘れたら、どうなるのだろうか。神が世界を忘れたら、たった一日でも忘れたら。もし太陽を照らすのを忘れ、夜を昼に変えるのを忘れたら。もし神が花を咲かせるのを忘れたら、小鳥や蝶を忘れたら、木々に新鮮な南風を吹かせるのを忘れ、雨を降らせるのを忘れたら。 もし神が人間に友情を与えるのを忘れ、子どもたちに遊び声を与えるのを忘れたら。もし神が痛みを和らげるのを忘れたら。いったい、この世界は、私たちは、どうなるのだろうか。私たちは、なお楽しいだろうか。もし、神が、たったの一日でも忘れたら。」 神様が私たちのことを思いやるのを、たった一日でも休めてしまったら、私たちは存続できません。でもその逆はどうでしょうか。私たちが神様を忘れてしまったら、主イエスはこう言われると思います。「あなたが神様のことを全く忘れたとしても、あなたは生きていけます。なぜなら、あなたが神様のことを忘れても、神様はあなたのことを決して忘れずに、日を昇らせ雨を降らせてくださるからです。しかし、枝であるあなたの霊的な命は、私という幹に繋がっていない限り、枯れていきます。だから私に留まっていなさい」
「問題の根源は私に」
2021年6月6日
英国のタイムズ紙が19世紀の終わりに、「世の中、何が問題なのだろう」と読者に質問しました。たくさんの回答を受け取りましたが、特に卓越した簡潔な答えがありました。作家であり、哲学者でもあったG.K.チェスタトンの回答で、「私です」の一言でした。責任転嫁の世の中にあって、一服の清涼剤です。パウロは「以前、わたしは神を冒瀆する者、迫害する者、暴力を振るう者でした」と過去の過ちを告白しました(Ⅰテモ1:13)。そしてイエスが来られたのは「罪人」を救うためだと述べた後、自分こそが「その罪人の中で最たる者」だと語りました(15節)。チェスタトン的な自覚です。パウロは、時代を超えて、世の中の何が問題なのかを正しく知っていました。「一家に一人悪人がいれば、その家は安泰だ」という言葉があります。何か問題が起きた時、真っ先に「私が悪かったのです。ごめんなさい」と言える人が一人でもいれば、その家はいつも平安に満ちているというのです。「お前が悪い」と指さす時、親指は自分の足元を指しています。そして、中指、薬指、小指は自分の胸を指しています。つまり4本の指は自分に向かっているのです。そのことをいつも覚えていたいと思います。