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幸せの秘訣

「幸せの秘訣」

2021年7月25日

片柳弘史神父の本から、謙遜について学ばされました。片柳神父はこのように書いておられます。「深く学んだ人は、自分がどれだけ無知であるかに気づいて、謙遜になります。学んだことで自分が、偉くなったと思い込んでいる人は、まだ十分に学んでいないのです。偉大な真理の前に、頭を下げずにいられなくなるほど学びましょう。」聖書という本には、最も偉大な真理が記されています。ですから、読むたびにその真理の深さ、広さ、高さ、大きさに、圧倒されてしまいます。そして、偉大な真理の前で、自分が限りなく小さくされていくのを感じざるを得ません。もう一つ、片柳神父が謙虚さについて書かれた言葉を紹介します。「高齢になるにつれ、体は弱り、人に手伝ってもらわなければ、できないことが増えてゆきます。でもそれは、これまで以上に謙虚になり、人とのつながりを深めてゆくためのチャンス。チャンスを生かし、ますます幸せになっていけますように。」年を取り、できないことが増えることは、謙虚になり、人との繋がりを深めるチャンスだというのです。聖書を読むたびに、また年を取るたびに、ますます小さくされて、そして幸せになっていきたいと願わされます。

「共感の大切さ」

2021年7月18日

淀川キリスト教病院の柏木哲夫先生がホスピスの患者さんから相談を受けたそうです。「先生、妹のこと何とかならないでしょうか」。「どうしたんですか?」。「見舞いに来てくれるのは嬉しいけれども、毎回すごく励ますんです。それが辛くて仕方がない。『お姉ちゃん、がんばりよ、がんばりよ』と言うんです。私は今まで一生懸命頑張ってきて、もう頑張れないのに『がんばりよ』と言われると、とても辛いんです」。「どう言ってほしいのですか?」。「そうですねえ、『お姉ちゃん、つらいな、しんどいな』、そう言ってくれるのが一番いいです。先生、何とか妹に励まさないように言ってください」。妹さんにそのことを話したら、びっくりして、「私は姉を励ますのが一番いいと思っていたんですけれども、励ますことがかえって傷つけていたんですね。これからは姉が言うようにします」と言いました。そしてさっそく病室に行き、「姉ちゃん、つらいな、しんどいな」と話しました。初めは少し芝居じみていましたが、だんだん身についてきて、お二人のコミュニケーションも良くなっていったそうです。相手の気持ちに寄り添い、共感することが一番の慰めであり励ましなのですね。

「愛とは」

2021年7月11日

日本で最初のホスピスを創られた淀川キリスト教病院の柏木哲夫先生は大学2年の時に教会に通い出しました。しかし、なかなか罪のことが理解できないでいました。ある時、宣教師から「罪は英語でSINと言います。「I」が中心にありますね。自分中心が罪なのです」と言われて妙に納得して、教会に通い出して5年目に洗礼を受けたそうです。英語の「I」は自分のことを表す言葉です。同じ音でも日本語の愛は、自分ではなく他人を思う心を表しています。漫画一休さんのテーマソングは「好き、好き、好き、好き、愛してる」と歌っていますが、「好き」が高まっても愛に変わることはありません。「好き」は自分中心の思いです。ですから他人中心の「愛」とは異質のものなのです。「好き」が異常に高まるとストーカー行為に及ぶことさえあります。「愛」という字は「受ける」という字の真ん中に「心」が入っています。つまり相手の心を受け入れることが愛なのです。また真ん中に心がある「愛」に対して、「恋」という字は下に心が付いています。そのため愛は真心、恋は下心などとも言われます。私たちは相手の心を、真心をもって受け入れ入れる愛に生きる者となりたいと思います。

「他者に向かう愛」

2021年7月4日

一年半前、クリスチャン医師の中村哲さんがアフガニスタンで殺害されました。当初はパキスタンのペシャワールで医療活動をしていた中村さんは、干ばつで苦しむ人々を見て、医療よりも飢えと渇きを癒さなければ命を救えないと判断し、「緑の大地計画」を立ち上げて用水路の開発に乗り出しました。ちょうどその頃、日本に残していた10歳の二男の脳腫瘍が急速に悪化して危篤になりました。中村さんは直ぐに帰国して最後まで息子さんを看取りました。息子さんを亡くした翌日の朝、呆然と庭を眺めていた中村さんの目に、病気の子どもを抱えながら干ばつの中を長い道のりを歩いて診療所にやって来る母親の姿や、死んだ子どもを背負ってとぼとぼと村に帰って行く母親の姿が飛び込んできました。中村さんは亡くなった息子さんに語り掛けました。「見とれ。おまえの弔いは私が命懸けでやってやる」。中村さんの他者に向かう愛は「神が私たちを愛して、私たちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました(Ⅰヨハネ4:10)」、という父の愛、父の涙を中村さん自身が体験し、また自分の回りにもそれを体験している父親や母親が大勢いることに気づいたことから来たのです。