MENU

黄金の冬ごもり

「黄金の冬ごもり」

2021年8月29日

原発事故のため未だに故郷に帰ることができない福島第一聖書バプテスト教会の佐藤彰牧師は、コロナ禍を「黄金の冬ごもり」の時と位置付け福音を更に深く体験する機会と捉えています。「東日本大震災の時、私たちは、それでも震災直後の日曜日を除 けば、礼拝を欠かすことはありませんでした。しかし今回のコロナ禍では、教会堂はあるのに、教会員はそこにいるのに、礼拝できないという悔しさを噛みしめています。最後となった日の礼拝で、私は思わず言葉が詰まって祝祷ができませんでした。けれども初代教会も迫害の中で、そして今日の中国の教会も共産主義体制の下、やむなく家で礼拝をささげています。この機会はもしかしたら、神様が下さった原点回帰の時でしょうか。私たちは震災の時のように、今礼拝や交わりが決して当たり前ではないことをつくづく思い知らされています。(中略)私たちは大丈夫です。「わたしの前で静まれ」(イザヤ41:1)と語られた主と二人きりで、黄金の冬ごもりの季節を過ごしましょう。春は来ます。苛立ちや不安を手玉に取り信頼や寛容を育んで、来るべきコロナ後の世界への旅支度を始めるのです。最悪の中に最善が備えられていることを信じて。」

「何ができるか」

2021年8月22日

私の信仰の友ルース・ジャーマンさんは日本の良さを紹介する本を何冊か書いており、テレビでも活躍しています。彼女は日本語の感謝を表す言葉が豊かであることに感心しています。『「ありがとう/恐縮です/恐れ入ります/すみません/助かりました/お世話になりました/ご馳走様でした/お疲れ様でした」。他の国には「ありがとうを」ここまで極めている文化はありません。「ありがとう」を中心に考えると、必然的に「我」ではなく「相手」がフォーカスされます。相手のためにどうすべきかを日常的に考えるようになると、利己的ではなく外向きな視点を持つようになるでしょう。』カトリックの片柳弘史神父も同じ様なことを言っておられます。『「どうしたら自分の命を守れるか」だけを考えていると、かえって生きる力を失います。「どうしたら愛する人の命を守れるか、苦しむ人をこれ以上増やさないために何ができるか」と考えれば、日々の生活に生きがいを見つけられるでしょう。幸せの扉は自分のために開けようと思っても開きません。幸せの扉は誰かのために開けようとしたとき開くものなのです』。コロナ禍の今、愛する人を守るために何をすべきかが問われています。

「宇宙の瞬き」

2021年8月15日

学生時代、私の友人が英語のスピーチコンテストで「A wink of the universe(宇宙の瞬き)」という題のスピーチで優勝したことがありました。私たちの人生は、宇宙の悠久の歴史から見れば、まさに一瞬の瞬きに過ぎない。そう思うと空しい。でもそれを意義あるものとするのは、私たちの崇高な理念であり志なのだ、というような内容だったと思います。聖地旅行でエジプトのシナイ山を訪れたあるクリスチャンが、夜、満天の星を見上げていると、同行した友人が言いました。「あの星は地球から三千数百光年の距離にある。今、僕たちが見ているのは、モーセがここにいた頃に、あの星から出た光なんだ」。果てしない宇宙に比べると、人間の一生など本当に瞬きのような一瞬です。詩編8:5で詩人は、その宇宙を創られた神様が御心に留め、顧みて下さる人間とは、いったい何者なのでしょう、と言っています。広大な宇宙の時間と空間の中で本当に小さくはかない私たちです。でも神様はそんな私たち一人一人を愛してくださり、御心に留め、顧みて下さっているのです。人間は何と尊い存在なのでしょうか。私たちの人生を意義あるものとするのは、私たちの理念や志ではなく、この神様の愛なのです。

「喜びに生きる」

2021年8月8日

8月8日は私の誕生日です。喜寿を迎えました。そこで改めて喜びについて考えました。フィリピ4:4は「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」と私たちに命じています。「常に喜びなさい」と重ねて命じられています。そんなことを言われると重荷に感じられるでしょうか。でも「常に喜びなさい」と命じられていることは、大きな幸いではないでしょうか。もし「常に悲しんでいなさい」とか「常に嘆いていなさい」とか「常に怒っていなさい」と命じられたとしたらどうでしょうか。私たちの人生は暗澹たるものになってしまうでしょう。「常に喜びなさい」。これは神様が私たちに望んでおられることなのです。親が我が子に望むこと。それはその子が喜びの人生を送ることではないでしょうか。天の父なる神様が私たちに望むことも同じです。私たちが喜びに満ちた人生を生きることです。御言葉は「主において常に喜びなさい」と語っています。「主において」なのです。主はいつも共にいてくださる。その主において喜ぶのです。共にいてくださる主が、私たちの喜びの根拠なのです。最も大切なもの、喜びの根拠が既に与えられているのです。だから喜べるのです。

「平和を実現する者」

2021年8月1日

今日は教会歴で「平和聖日」です。「平和を守り、平和を乱さない」ということはとても大切です。しかし、なかなか難しいことでもあります。友人と些細なことから喧嘩となり憎しみ合ってしまうことがあります。それは私たちの内に罪の性質があるからです。神中心ではなく自己中心となり、謙遜ではなく高慢となり、信仰的ではなく感情的になってしまうからです。そのような罪の性質が心の中で暴れ出すとき、妬みや争いや憎しみを生み出し、愛する人との平和が破壊されてしまいます。ですから「平和を守り、平和を乱さない」ということは、自分の内にあるそうした罪の性質を抑え込むことだということができます。しかし、それがなかなか難しいのです。神様の助けなしには到底出来ません。背き続ける私たちのために、命を献げて下さった主イエスを見上げ、その主イエスの執り成しに頼らなければ、自分の罪との戦いを続けることはできません。その主イエスは言われています。「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」あなたは神の子なのだ!ならば、まずあなたの心に平和を作れ!そしてあなたの周囲にも!自分に何ができるかを考えてみましょう。