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ルターの祈りーむなしい器

「ルターの祈りーむなしい器」

2021年9月26日

説教で引用するマルティン・ルターの「むなしい器」という祈りを紹介します。宗教改革者らしい立派な祈りと思いきや自分の信仰の小ささを嘆く正直な祈りです。「ごらんください、主よ、満たされる必要のあるむなしい器を。/わたしの主よ、どうかこの器を満たしてください。/わたしの信仰は弱いのです。どうか、強くしてください。/わたしの愛は冷え切っています。/わたしを温め、わたしを熱し、/わたしの愛が隣人に届くようにしてください。/わたしには強く堅固な信仰が欠けています。/ときとして、わたしは疑い、/あなたをひたむきに信頼することができません。/ああ、主よ、どうか助けてください。/わたしの信仰を強め、あなたを信頼させてください。/わたしはあなたのうちに、わたしがもつ宝のすべてを置いています。/わたしは貧しく、あなたは富んでおられ、/貧しい者に対して恵み深くあられる方。/わたしは罪人であり、あなたは正しく、/わたしは罪にまみれ、あなたのうちには義が満ちあふれています。/ですからわたしはあなたとともにいたいのです。/わたしはあなたからいただくばかり、/あなたに差し上げるものはなにひとつありません。アーメン」

「K字型回復?」

2021年9月19日

コロナ禍は世界経済に大きな影響を与えています。しかしその影響は決して一様ではありません。日本の経済に関して言えば「K字型回復」をしていると言われています。Ⅴ字型回復という言葉はよく耳にしますが、K字型回復とはどういう回復なのでしょうか。Kという字が示しているように、上向きの矢印と下向きの矢印が交差している状態。つまり上向きと下向きに二極化している状態をK字型と呼ぶそうです。人々の移動を必要とする、飲食、宿泊、交通、サービス業などの「非製造業」は深刻な影響を受けて、下向きの矢印で苦しんでいます。一方「製造業」や、情報、通信関連業界は、コロナ禍にあっても上向きの矢印、つまり好業績を挙げています。こういう状態をK字型回復と言うそうです。さて私たちの信仰生活はどうでしょうか。コロナ禍のために家に籠ることが多い。その機会を生かして今まで以上に聖書に親しみ、より真剣に祈り、礼拝の大切さを認識するという、上向きの矢印の状態でしょうか。それとも礼拝に集まれないために信仰が次第に弱まってしまうという、下向きの矢印の状態でしょうか。この時期をどう過ごすかによって、これからの信仰生活が決まっていきます。

「オンライン礼拝の恵みと危険」

2021年9月12日

恩師の島隆三先生が次のように語っておられます。「コロナが蔓延して教会の集会が今までのようにできなくなった。多くの教会ではオンライン礼拝が行われている。今までは「教会に集まってください」と言ってきたが「今は教会が各家庭に入り込んだ」という人もいる。或いは「今までは場所を共有していたが、今は時間を共有している」という人もいる。しかし「実に神の国はあなたがたの間にあるのだ(ルカ17:20)」と言われた主イエスの言葉に戻れば、一緒に集まることは教会にとって本質的なことなのだ。それを忘れてはならない。どうしても集まれない時も、安易に「オンライン礼拝ができるから」と言ってはならない。少なくともそこには大きな痛みがある筈だ。」島先生が言われているように、私たちはオンライン礼拝の恵みに感謝しつつも、それで良いと簡単に言ってはならないと思います。今は教会の本来の姿ではないことに痛みを覚えなければいけないのです。会堂での礼拝が再開されても、礼拝のライブ配信は続けます。その時、動画で見られるからと言って教会に来ることは必要ないと思ってはならないのです。聖なる御前で神様と交わることが礼拝の本質なのですから。

「今やそれは芽生えている」

2021年9月5日

「見よ、新しいことをわたしは行う。今やそれは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる。」今年度の主題聖句イザヤ書43章19節です。福島第一聖書バプテスト教会の佐藤彰牧師は、神様が用意していて下さる素晴らしい未来を、コロナ禍の悲しみで染めてしまってはいけないと言っています。イザヤ書の御言葉のように、今、私たちの目の前にあるのは「荒れ野」や「砂漠」であるかもしれません。絶望や悲しみしかないように見えるかもしれません。ですが、主はその「荒れ野」や「砂漠」で新しいことをなさると言っておられます。荒れ野に道を、砂漠に大河を流れさせ「今や、それは芽生えている」と言われます。悲しいこと、苦しいこと、恨みに思うことに目を奪われ続けるのはやめましょう。たとえ目の前は砂漠だとしても、その砂漠に一歩踏み出しましょう。その先に思いもしなかった神様の未来があることを信じましょう。たとえ直ぐには分からなくても歩み続けましょう。時を経て振り返って見ると、そこに神様の道があったことがきっと分かるはずです。主題聖句は神様の未来に対する私たちの信頼を促しているのです。