「あなたも同じようにしなさい」
2021年10月31日
先週書いたペイ・フォワードという言葉の実例を紹介します。小塩節先生がICUの専任講師をしていた若い頃、ご長男が長く入院され経済的に非常に困窮されました。その時あるスイス人の教授が自分の給料袋をそのまま差し出して「このお金であなたをお助けしたい」と言ったそうです。当時の外国人の教師の給料は日本人の10倍でした。小塩先生は深く感謝して受け取られ「本当にありがとうございました。ご厚意は忘れません」と言いました。すると彼は大きな声で「日本人はダンケを言い過ぎる。いま直ぐ、ここでのことは忘れてくれ」と言ったのです。小塩先生が「いえ、私は生涯忘れません」と言うと、彼は「僕の顔を見る度にありがとうと言うつもりなのか。だったら、その金を返してもらう」と言ったのです。びっくりしている小塩先生に彼は続けて言いました。「但し、私に返すのではない。将来、今のあなたと同じような状況の友人に出会った時、その人たちに今日の恩義を返してあげてくれ。」そう言ってスイス人の教授は部屋を出て行ったそうです。これは主イエスが「善きサマリア人の譬え」で「行って、あなたも同じようにしなさい」と言われたことと同じではないでしょうか。
「ペイ・フォワード」
2021年10月24日
ペイ・フォワード(Pay it Forward)という言葉があります。「先に向かって支払う」という意味です。この言葉とヨハネ15:12の御言葉「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」とを結びつけて榎本恵師がこのように書いておられます。「キリスト者にとって最も重要な教えは何かと聞かれたなら、多くの人が「互いに愛し合うこと」と答えるだろう。主イエスは、私があなた方を愛したように、あなた方も私を愛しなさい、とは言われなかった。主の愛を受けた者が、その愛を他の者に渡していくことを教えられた。「ペイ・フォワード可能の王国」という映画があった。ラスベガスに住むアルコール依存症の母と家庭内暴力を振るう父を持つ中学校1年生の少年が、社会科の授業で先生から「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら何をするか」という課題を出され、彼が提案したのは自分が受けた善意や思いやりをその相手に返すのではなく、別の3人に返すという「ペイ・フォワード」という考えだった。そして彼はそれを実践していく。」私たちも、「どうしてそんなことをするの」と聞かれたなら、「私も(主から)そうしてもらったから」と答える者でありたいと願います。
「静まって神を知る」
2021年10月17日
精神科医柏木哲夫先生の本からの引用です。「病床伝道に携わっているある牧師が興味深い話をしてくださいました。『忙しい現代人は毎日目前の問題と周りの人に心を奪われ、前と横を向いて生活しています。上を見上げることはしません。しかし病気になって入院しベッドに寝ていると、必然的に上を見ることになります。上、すなわち天の父なる神様を見る姿勢が出来上がっているので、病床伝道はとても実りが多いのです。』 確かに私たちは上を見上げることが少ないと思います。世の雑事に追われ、対人関係の難しさに悩み、心の余裕を失っています。空を仰いで、そのかなたにある世界に思いを馳せる心の広がりをなくしています。「神は…また、永遠を思う心を人に与えられる。(コヘレトの言葉3:11)」という御言葉がありますが、現代人は永遠を思う心を培う静かな時をもっと大切にする必要があるのです。…朝決まって一時間静思の時を持った精神科医ポール・トゥルニエは『忙しいからこそ、静まる時間は私にとって大切なのです』と言っています。」コロナ禍のため家にいる時間が多くなったと思いますが、静まって神様と対話する時間は増えたでしょうか。省みたいものです。
「幸せについての言葉」
2021年10月10日
先週は便利になることは幸せを保証しないと書きました。幸せについての片柳神父の言葉を紹介します。「『歳を取ると欲がなくなる』と言いますが、正確に言えば、歳を重ねた人は、自分にとって本当に必要なものを知っているということ。欲しいものをすべて手に入れても、幸せになれるとは限りません。本当に必要なものを見極められますように。…何かを手に入れることが幸せなら、手に入れたものを失うと同時に、その幸せもなくなるでしょう。何かを手放すこと、何も持たないことの中に、幸せを見つけられたなら、その幸せは、いつまでもなくなることがありません。…財産や名誉を手に入れることの最大の危険は、『自分は、他の人より優れた人間だ』と思い込んでしまうこと。そう思い込んだ瞬間から、周りの人との間に、対等で真実な関係を結べなくなり、人間にとって一番大切なものを、失ってしまうのです。」旧約の詩人は自分の幸せをこう表現しました。「私の心は喜び、魂は踊ります。からだは安心して憩います。」この幸せの根拠は「主が絶えず私の右にいて下さるので、揺らぐことがないから」だと言っています(詩編16:8~9)。この幸せに生かされたいと思います。
「便利になることと幸せになること」
2021年10月3日
菅首相の置き土産のようにデジタル庁が発足しました。今、急速にIT化が進み私たちの生活は格段に便利になっています。でもそれに比例して人々は幸せになっているでしょうか。生活していくための苦労は少なくなっているでしょうか。もし科学の進歩に比例して人が幸せになるなら、今の人たちは江戸時代の人たちとは比較にならない程幸せである筈です。これから100年後に生きる人たちは私たちより格段に幸せになっている筈です。科学の進歩は生活を便利にしてくれます。今、殆どの人はスマホやパソコンがないと生きていけないと思っています。しかしスマホやパソコンが私たちに本当の幸せをもたらせてくれるでしょうか。スマホが普及して世の中から不幸が減ったでしょうか。私たちの悩みや苦しみは減っていません。私たちが本当に幸せかどうかを決めるものは世の中の変化の中にあっても決して変わらないものです。教会はその決して変わらないものを探し求めます。聖書は決して変わらないものを指し示します。主イエスは決して変わらない幸せを与えて下さるお方です。スマホを忘れてうろたえる私たちですが、主イエスを忘れても平気でいる者にならないようにしたいものです。