「消したい過去はありますか」
2022年2月27日
「チコちゃんに叱られる」というテレビ番組があります。5歳の人形のチコちゃんが普段は当然と思っていることを大人たちに質問し、正解しないと顔を真っ赤にして目や額から煙を出して「ぼーっと生きてるんじゃねえよ」と大声を出します。いつでしたか「消えるボールペンインクはなぜ消えるの」という質問がなされました。答えが明かされた後で、インクの発明者がチコちゃんに質問しました。「チコちゃんは5歳でも消したい過去がありますか」。これを聞いて私は、何というきつい質問だろうかと思いました。消したい過去がありますか?そう問われれば、誰でもが消したい過去を持っていると思います。特に神様の前に出た時に、これはぜひ消したいと思う過去をいくつも持っていると思います。讃美歌21の460番『やさしき道しるべの』の3節はこう歌っています。「世の栄えとちからを よろこび/誇らかにわが道を 急ぎて/むなしく過ごしし日を/わが主よ、忘れたまえ」。この歌詞は私たちの共通の願いです。「主よ、私の過去を忘れたまえ」。この祈りを祈る時、私たちは主の執り成しの祈りを聴くのです。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」。
「神様との新婚旅行」
2022年2月20日
先週の説教で「信仰とは神様との交わりを喜ぶことである」と話させて頂きました。ある人が、出エジプト後の荒野の旅は神様とイスラエルの民との新婚旅行だと言っています。シナイ山で神の民となる契約を結んでから、神様とイスラエルが初めて共に歩んだのが荒野の旅でした。ですからそれは新婚旅行だというのです。愛する人と旅するならどこに行くかは問題にならないと思います。この荒野の旅は神様との交わりの旅としてイスラエルの信仰の原点となりました。私の母教会の牧師は、終戦直後、本当に何もない中で戦地からの先生の帰りをひたすら待っていた奥様とご結婚されました。新婚旅行は東横線の綱島駅近くの綱島温泉でした。でもその新婚旅行は愛するお二人には、どんな豪華な旅行よりも大きな喜びに包まれていたのです。その牧師は私たち夫婦の結婚式の司式もしてくださいました。そこで先生に「新婚旅行はどこにいったらいいでしょうか」と尋ねたら、即座に「綱島温泉がいいよ」と言われました。それ程、喜びに満ちた旅行だったのでしょう。神様とイスラエルとの荒野の旅も、共に歩むことの喜びに満たされていたなら、それは素晴らしい新婚旅行であったと思います。
「丸ごと受け入れてくれる神様」
2022年2月13日
上智大学神学部の武田なほみ教授が次のようなことを語っておられます。「認知症の母は何度も同じ話を繰り返します。母は音楽家でしたが、音楽の道に進んだ後の活動の話は全く出てきません。でも幼い頃に音大に行くきっかけになった話を繰り返します。認知症になって思い出すのは、人生の何十年も費やした「活動」の話ではなくて、自分が「大切な存在」として見られたという、その眼差しを受けた体験なのだと思います。色々なものが確かでなくなる中で、そういう「素の私」のままで受け止められた経験に戻っていくのではないでしょうか。それは、キリスト教信仰からすると「素の私」、「本当の私」を待っていて、丸ごと受け入れてくれる神様の許へと進んでいく歩みなのだと思います。勿論、傍らにいる者は何度も同じ話を聞かされると「またか…」と思ってしまいます。けれども、私たちも「大切な者として眼差しを受ける」という体験を、認知症の方と一緒に味わわせて頂きたいと思います。大切な人が認知症になられることは本当に悲しいことです。しかしその悲しみを抱えて、認知症の方も周りにいる方も含めて「どうか神様受け取って下さい」と祈ることが大切だと思います。
「ありのままで…パート2」
2022年2月6日
先週に続き「ありのままで」について。「アナと雪の女王」で歌われた曲「ありのままで」は多くの人たちに愛されています。子供たちも大好きです。しかしこの曲の原題は「Let it go」ですから、曲の後半で繰り返されている「これでいいの」の方がぴったりします。一方、讃美歌21の433番「あるがままわれを」の原題は「just as I am」で、こちらは「ありのままで」という意味そのものです。この讃美歌の作詞者シャーロット・エリオットは幼い頃から病弱で30歳頃から病床に臥す日々が多くなりました。ある時、一人の牧師が彼女を尋ねて「あなたは罪赦されているのだから、ありのままの姿で主イエスの許に行きなさい」と勧めました。この言葉は彼女の魂の奥底に深く沁み込み、霊的な覚醒が与えられました。教会でバザーが開かれた時のことです。皆が忙しく働いているのに彼女一人が家に残っていました。無力感に苦しむ彼女に、いつか聞いた牧師の言葉が甦ってきました。彼女はペンを取って讃美歌の歌詞を一気に書き上げました。『あるがままわれを 血をもてあがない、イエス招きたもう、み許にわれゆく。』この讃美歌は苦しみや悩みの中にいる人々に深い慰めと励ましを与えてきました。